徒然夜

孤独にあるのにまかせて、夜にPCと向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみる

夢で会えたら

 汗で髪が張り付く程、じめじめと湿っぽい熱を帯びた頬に、七月の訃報はいっそう冷たく届いた。

 今日が何の日なのかは深く考えずとも、カレンダーで日付を確認しただけですぐに理解できる。あれから一年、今日は祖父の命日だ。

 

 赤や黄色に葉が色づき、枝は白色の服を身に纏い、やがて薄桃色の花が咲き乱れる。あれから一年。相も変わらず、ほぼ例年通りの早さで移ろう季節は、私を何だか憂鬱な気分にさせた。「例年通り」というのに、時に胸をぎゅっと締め付けられる気がした。それに対する憧れからだろうか、それとも憎悪からだろうか。理由なんて分からなかったし、考える気にもならなかった。

 そんな中で心の救いとなったのは、私が見る夢だった。安らかなる夜、寂しさに震える夜……どんな夜かは関係なしに、眠りにつくと私は定期的に、夢の中で祖父に会うことができた。そういうことができるのは、家族や身内で私だけだった。私がいつまでも立ち直れずにいるからなのだろうか。理由なんか、どうでも良かった。祖父に会えるのなら。

 「夢で会えたらどこへ行こうか 考えすぎて眠れない夜」

モンゴル800の曲に、確かこんな一節があった気がする。夢で会えたら、私たちは必ず祖父の家か私の家のどちらかで雑談をしていた。きっと他愛もない、些細な会話だった。結局私が欲しているのはもう訪れなることのない、何気ない日常なのだろう。私には考えすぎて眠れない夜は無かったが、喪失感と虚無の境地から、とっくに夢から醒めているのに起きたくない朝はあった。歌詞に準え、そんなことを思い返す。

 

 頑張ろう。前を向こう。そんな言葉をいくら発してみたところで、それは何とも言えぬ空虚さに蝕まれた眼前を、力無しにただぷかぷかと泳ぐだけだった。私にとってそれは願掛けでも決意でも何でもなく、お荷物に過ぎなかったのだ。吐き捨てた所で、初めて分かった。

 実際、祖父のことを思うと、後悔や未練、また楽しかった思い出ばかりが延々と浮かんできて、自然と頬が濡れている。そんなことが未だに少なくも無いというのが、現状だ。ブログでは祖父について多々触れてきたが、私にとっての祖父の存在というのはここだけでは語り切れない程に大きすぎる。

 あれから一年たった今、祖父に対し何を語ろうか。前向きな思いを述べて安心させたい、とも思った。しかし無理して着飾る方が、心配をかけるかもしれない。迷った末、落ちもまとまりも無いこのブログを今抱いている祖父への素直な思い出締めくくりたいと願う。

 今まで本当にありがとう、大好きだよ。

今度はこれを、祖父に直接伝えたい。