前を向けないなら、上を向けばいい

 高専に入ったばかりの、毎日がわくわくや新たな発見の連続で、不安や心配の中にも、それよりも強い、確かな楽しさや好奇心を抱いていた一年生の四月。

 新入生歓迎会の後日。私は、知り合ったクラスの子三人とともにある部活の見学へと、足を運んだ。

 その部活には、別に興味があったわけでは無かった。むしろ、みんな真面目で怖そうだし、そういう系のオタクっぽくて怖いし、静かで雰囲気ヤバそうという勝手な偏見があり、入る気なんて無く、運動部の次に入らないだろう、という自分の中の候補にさえ上がっていた。

 しかし、入学してすぐ仲良くなった友達が好きだったので、遊び半分でとことこと見学について行ったのだった。

 その部活の活動場所に行くと、すでにもう何人かの先輩がいた。失礼ながら、黒縁眼鏡率が高すぎるというか、ほぼ全員黒縁眼鏡をしていて、真面目そうな怖そうな雰囲気を感じた。

 しかし口を開くと、みんなとてもフレンドリーで高専の事や勉強の事を、いっぱい話してくれて、なんだか想像とは全然違った、居心地の良さを感じた。

 その後、ぞくぞくと後から来た先輩たちが増えたが、ある一人の先輩が、入るのならLINE交換しない?みたいな雰囲気を出し始めた。そして、違う先輩が見学に来た他の友達と、1人ずつLINEを交換し始めた。

 え、私まだ入るとは言っていないんだけど・・・・・・。

 私は内心どうしよう?と、とてもあたふたしていたが、自分は人見知りで、急に知らない先輩にそういう事言えるタイプではないし、だからといって先輩達は誰も察してくれそうにないし・・・・・・。そして何より、LINE交換しない?みたいな雰囲気を出し始めた先輩が、見学に来てすぐ他の男子の友達に、

「おまえの性癖は?」

みたいなことをさらっと聞いていて、何か第一印象怖いなって思ったから、とてもじゃないけど言い出せなかった。

 そして、私の番が来て、流れに飲み込まれたまま先輩とのLINE交換が完了。

 その直後には、気が付いたらもう新入生歓迎会の話が始まっていた。

 信じられるだろうか?結構ひどい偏見があって入らないであろう候補にまで上がっていた部活に、私は”流れと雰囲気に飲まれて”という最も単純でしょうもない理由で入部することになったのだ。

 そして自分が一番驚いているのだが・・・・・・入部して二年半。私はその部活を、今でも続けているのだ。

 そう、これは某天文部に入部したときの小さなエピソードである。

 

 入部してからはまず新入生歓迎会があり、みんなでレクリエーションをしたり、お菓子を食べたりと楽しい時間を過ごした。そして観望会で、屋上に行って初めて(?)望遠鏡で月などを見た。それはすごくはっきり見えて、きれいで感動したのを覚えている。

 そして夏休みには、乗鞍高原に行って初めての合宿。夜に山の上でシートを広げ、寝袋にくるまって寝転び、星を見上げる。その年は結構晴れて、ペルセウス座流星群をいくつも見る事が出来た。寝転んで星を見た事、こんなにたくさんもの流星を近くで結構はっきり見た事、みんなでお菓子を食べた事(笑)・・・・・・全てが生まれて初めての経験で、それはとても楽しく、わくわくして、感動もした。そして生まれて初めて高山病にもなった笑

 工嶺祭では、プラネタリウムの上映をした。プラネタリウムはとてもきれいで、本当に感動した。そして、工嶺祭前に調べて作った、火星についてもポスターも掲示した。全然内容薄かったけれど、先生が女子には甘いから許してもらえてよかったな、何て思っていたら、隣に飾られた男子の作ったポスターが、私達女子が作ったポスターとは比べ物にならないくらい文字がぎっしりでびっくりした思い出がある笑

 

 二年生になって。同学年で三人はいた部活の女子が、みんな運動部と兼部していてそちらが忙しくなったため、ほぼ来られなくなった。一年生はすごくいっぱい入ってくれたが、みんな男子で、部活で女子が一人になった。初めは何だか、とても不安だった。

 しかしそれでもやめようとか、そういうのが頭に浮かびさえしなかったのは、本当に周りのおかげだと思う。

 もともと人見知りが激しくて一年生の頃はほぼ先輩と話せなかった私。しかし二年になって、少し慣れてきたらどんどん話せるようになって、普通に笑う事も出来るようになった。

 すると、今まで話さなかった先輩とも話せるようになり、色々な人が話してくれるようになり、前よりさらに居心地が良かった。

 今まで目さえ見られなくて失礼な態度ばかり取ってしまったのに、それでも話してくれ、優しくしてくれた友達や先輩には、本当に今でも言葉では言い表せないくらいの感謝の気持ちでいっぱいだ。

 そして、そういう事もあり、その年初めの行事である、新入生歓迎会を兼ねた菅平での合宿は、不安だった気持ちが全くと言っていい程に吹き飛び、むしろとても楽しい合宿となった。

 秋には、黒部の方に行ってプラネタリウムを見に、小さな旅行みたいなのに行った。間近で見た大きなプラネタリウムの装置や、映像がとても面白かったし、近くにあった海に行けたこともとても楽しかったのを覚えている。

 工嶺祭では、去年より更にグレードアップした、プラネタリウムがとてもきれいでハイテクで、とても興奮したし感動した。それを作った先輩の技術には、本当に感動したしとても尊敬した。

 

 三年になってからは、まだ半年。しかし、春合宿、先生の講演会、夏合宿など、すでに色々なことを経験した。どれも、本当に楽しくて素敵な思い出。

 これからまだ、色々なことを経験したい。

 本当に、天文についての知識は皆無、星の位置と名前も笑ってごまかしてしまうという程度の、知識の浅い自分がここまで部活動に楽しさを感じ、星について興味を持って活動できたことは、他ではできない、ここの部活だからこそ出来た事だと思う。いつも優しく、面白く、楽しくて居心地の良い大切仲間がいたからこその事。そう、強く信じている。

 これから、私は忙しくなって時間の余裕が無くなったり、または大きくなって都会に行って夜でも人工灯の主張が激しい環境に行くかもしれない。

 しかし、どんな時でも、忘れたくない。もし忘れてしまっても、思い出したい。自分が生きる地球の空がこんなにもきれいで、星を見る事が、こんなにも素敵で楽しいということを。

 ”長野県は宇宙県”

先生は確か、こういうことをよく言っていた。本当に、長野から見える星空は素敵だ。しかし一人で見たのなら、つまらない。何だか寂しい。大人になってもいつかまた、あの日一緒に星を見た仲間とともに、時間も忘れて、のんびりと星を見たい。

 そしてもし今後何かにつまずいたりつらいことがって前を向けなくなっても、忘れたくない。

 それでも、空を見上げるということを。

 そんなことを、夜空を見てなぜかふと思った。

プレゼントⅠ

 最近ブログでセカオワの歌詞を引用させていただくことが多い。私は中学一年生の頃からセカオワファンだ。ファンと言ってもCDも買うのはアルバムくらいで、単行本を買ったり部屋の壁にでかでかとポスターを二枚張ったりしているが、ライブに行ったことはない。それくらいのレベル。まあレベルをどうこう言い争う気はないので自分で勝手に自分をファンと名乗っている。

 そのセカオワに対する愛については今後、改めてブログで別の記事として書かせていただく。

 さて最近「プレゼント」の合唱をやり始めたが、今回はその曲について、一ファンの目線で読んでいきたい。

 

 まず作詞者は普段ピアノ担当で、ステージ演出も務めるSaori。作曲者はセカオワのリーダーであり、ギター担当、サウンドプロデューサーも務めるNakajin

 セカオワの曲はその大半をボーカルのFukaseが作詞作曲をしているが、二人がそれぞれを手掛けるというケースも少なくはない。

 プレゼントのようにSaoriが作詞した曲は、プレゼント以外の今までセカオワが発表した全58曲中6曲、Nakajinが作曲した曲は12曲(それぞれ、数人共同で作詞、作曲した曲は数えない)。

 その中でも作詞Saori、作曲Nakajinというコンビの曲は3曲あり、マーメイドラプソディー(映画「海月姫」主題歌)、プレゼント(2015.Nコン中学の部課題曲)、アースチャイルド(2013.「お願いランキング」エンディングテーマ)と、それぞれ何かしらに起用されていてファン以外からも知られる、言わば有名どころである。

 余談だが、それらの三曲は2018.8.17.更新の最新のセカオワ人気曲ランキングTOP25に紹介順にそれぞれ、9位、19位、16位とランクインしている。このことからも、このコンビの曲は少ないながらにも人気だと言えるだろう。

 

 次に、それぞれの作詞、作曲の特徴について見ていく。ここではまずプレゼント以外の曲について見ていく。

 まず、Saoriの作詞について。彼女が作詞した5曲は先程紹介した曲たちのように、映画などの世界観に合わせたものもその大半なのであまり、一概にこうだ、とは言い切れない。しかしその中でも感じたことは、いくつかある。まず比較的優しい言葉であること。正義や戦争について描かれたものはあまりなく、それ故刺激的な言葉も少ない。また、自身の体験や経験(一部、世の現実)を含んでいること。そして展開が途中で生まれるようなストーリー性があり、それらは最終的に前向きな言葉に変わっていくこと。最後のこれが一番大きいのではないか、と自分では思う。決してよくはない事があっても、最後はそれを前向きに捉える。そこはFukaseとの作詞の違いかもしれない。Fukaseも確かに前向きに考えて歌詞が終わる、というのも少なくはないがSaori程ではなく割と曖昧としたもののように感じる。

 次に、Nakajinの作曲について。作曲は特に作詞に寄り添うためこれも一概にこうだ、とは言い切れない。そして私が音楽について詳しくない為あまり詳しい子ことは言えない。そんななかで感じたことはいくつかある。まず、吹奏楽系の楽器など、使っている楽器数が結構多い。それらは曲の雰囲気が変わる所でその音の厚みが増している。また、音が目立つ目立たないにせよ主旋律はピアノって場合が多いと思う。そして、サビに向かう所、サビ後に雰囲気が変わる所でピアノがそれを誘うような役割を果たすメロディーを奏でている。

 またNakajinに限らず、基本セカオワの作曲は楽器をほとんど使わず、映像やイメージで組み立てていくことが多いそうだ。

 

 知識や感性が乏しいため拙い考察だが・・・・・・それらを踏まえてプレゼントを見ていく。

 まず、歌詞について。ひとりぼっち。これは中学生時代いじめられていたり、ひとりぼっちでいたりしたSaori自身の事であろうか。そして彼女はTwitterで歌詞の言葉は中学生時代にFukaseがかけてくれた言葉だと明かしている。自身の経験などを歌詞に含む事の多い彼女の特徴がよく現れている言えるだろう。そしてひとりぼっちのような自分に対し、つらい気持ち、困難な人生それさえも「プレゼント」だと思おうという前向きな言葉に最後は願いや決意を込めている。それも大切な特徴だ。

 しかし他の曲との違いを唯一上げるなら、それは自身を分析しているという事だろう。冒頭やさびでない部分で今、あるいは過去の自分がどうしていたか分析してそれを踏まえて前を向いている。他の曲ではあまりこういったものはあからさまに書かれていないと感じる。

 何故なのか?それはこれは自分以外の誰かを助ける曲だと思うから。NコンのHPを見てもこの曲が皆さんにとって一生の宝物になればいい、という内容のコメントをしている。そう、他の曲は自分や主人公に対してのエールのように感じる。しかしこの曲は多くの誰かに対してというか、一番届けたい相手が他とは違うと思う。彼女は自分自身へプレゼントを贈るのと同時に同じようにもがく他の誰か、曲を聞いた誰かにその言葉、曲自体をプレゼントしているのではないか、そう感じる。

 

 次に、曲について。この曲も使われている楽器がそこそこ多く、ピアノが主旋律のように感じる。そしてサビとサビ以外の移り変わりでそれ程目立たないがやはりピアノの音が響いている。

 しかし他の曲ほど、曲の雰囲気が変わる歌詞の所で大きな変化は見られない。変化の仕方が小さい。それにはどういう意味があるのか、考察は難しいが、そういう他との相違があるという事は留意しておきたい。

 

 そして余談だが、この曲のPVについて。映像は、イラストレーターもしている鉄拳の、パラパラ漫画風の映像となっている。

 セカオワが鉄拳と、曲でこういう映像のコラボをしたのは同2015.に発表された「銀河街の悪夢」以降、2回目。

 プレゼントでは一人でスタートし、発表会をすることで仲間を増やして合唱コンクールに出場するまでの一人の女子生徒の奮闘の様子が描かれている。一方、銀河街の悪夢では、精神病になって生きる希望を失い自殺も出来なかったFukaseの過去が、歌詞に忠実に描かれている。

 どちらにも共通しているのは、他の曲と比べてそれぞれSaoriFukaseの過去がより色濃く書かれた曲であること。そういった曲にあの鉄拳の映像は・・・・・・いつも見る度、感慨深い何かを感じてならない。そして余談長かった・・・・・・笑

 

 長々と自身の拙い考察を述べてきたわけだが、そういう事も踏まえ、自分なりにこの曲と向き合い、そして表現していけたらファンとして幸せだと思う。またこの曲の歌詞についてはブログでも触れていきたい。それくらい大切に、この曲を見ていきたい。

 

 

「誰か」

 9月6日木曜日の、午前3時8分ごろ。北海道で最大震度7を観測する地震が発生した。

 10歳の時に東日本大震災を私だが、その時私の地域での震度は6弱。それでもかなり揺れは大きく、家では壁や塀に亀裂が入ったり食器が割れたりの被害で済んだものの、同じ市の海沿いの地域では津波により家が倒壊するなどの被害が出て、多くの罪のない方たちが犠牲となった。

 しかしそれよりも大きかった今回の北海道地震。四方八方を海で囲まれているということで津波が心配だったが、幸い津波の心配は今の所ないようだ。しかしそれでも未明におきたその地震が原因で亡くなっ方は現時点で42人、避難している方たちは昨日の時点で2600人越えと、相当な被害をもたらした。

 改めて、亡くなられた方、そして親族や大切な人を亡くされた方々に、お悔やみ申し上げる。

 

 3.11のあの地震を体験するまで、私は地震でなくとも、土砂崩れや水害などの自然災害が起きた、というニュースに、正直あまり関心がなかった。もちろん大変なことが起きた、多くの方が犠牲になって悲しい、という思いにはなったが、一方で自分の知らない人たちのことだ、関係ない、とも思ってしまっていた。

 しかしあの日。小学校まで迎えに来てくれた祖父と一緒に家に帰ってテレビを見て、自分の知っている地域が、行き慣れていた地域が津波に飲み込まれてめちゃめちゃになっている様子を見て、大きな喪失感に駆られたことを今でもよく覚えている。悲しい、可愛そう、そういった表面上の薄っぺらい感情ではなくて、心の中の何かが削り取られるような、言葉にできない、深い喪失感。そして涙も出ずに、ただただ震えた。あの手の震えも、不思議とよく覚えている。鮮明に、今でも。

 そしてその後発生した福島第一原発事故での放射線の影響で、父を残して私は姉弟と母と、祖父母とともに親戚のいる大阪に避難した。

 大阪の大伯父は親族も被害に遭ったという事で地震の事をよく調べていて、私達の事をいっぱい励ましてくれ、おいしいご飯もいっぱい食べさせてくれ、しばらく住むアパートまで手配して、布団も譲ってくれた。避難するまで食料は限られていて、寝るのも今にぎゅうぎゅう詰めで雑魚寝していた私達にとって、それはどんなにありがたかったことか・・・・・・。

 しかし大阪に行って驚いたことがあった。それは震災の事をよく知らない子供や大人がいっぱいいたという事。街や店での親族以外の人との会話で、母や祖父母が震災の事や避難してきたという事を話した時、あまりに被害の状況やまずどこで起きたかについても知らない人がいて、私は驚いた。そしてそれ程に関心がないくせに会話の終わりで、頑張ってくださいとかいう無責任さに何だか腹が立つというより、呆れた。子供ながらに薄っぺらいな、と思った。会話をしていた母や祖父母もそんな様子の私の顔を見て、苦笑い。

 しかし私は、はっ、と気がづいた。自分が薄っぺらいな、と感じたその人たちは、全くと言っていい程に、私と一緒だった。自分の知らない事だ、関係ない、と思っているから被災地の現状を知らない。そしてそのくせ悲しいとか頑張ってほしいと願うなんて・・・・・・卑怯者じゃないか。私は今までの自分を酷く情けなく感じた。支援をするにも、まずは被災地の現状、被害状況などを知るべきなのに・・・・・・。

 

 そう気がつけてから、私はいろいろな自然災害が起こる度にネットやニュースで、ある程度はその災害の近況を知るように努めている。何も知らない自分に、何かに悲しんだり、誰かを支援する権利なんて無いのだから。

 昨日に続いて、好きなセカオワの歌詞を引用させていただく。

 ”きっとこのまま「誰か」のまま放っておけば忘れてしまうだろう”

 そう、他人の事だ、どこか遠い世界の、自分とは関係のない「誰か」の事だと放っておいてしまえば、本当に一切自分とは関係が無くなってしまう。それは楽かもしれない。そしてもしかしたらそれが普通になってきているのかもしれない。

 しかし、それではあまりにも悲しくはないだろうか?と、私は思う。勿論災害だけに限らず、学校、家庭環境、病気など、苦しんでいる人を探せば毎日世界のどこかで幾人となく見つかるだろう。しかしその中には、たとえどんなに苦しくても自らSOSを発せない人たちも多いはずだ。それ故自分たちが感じられないSOSも、きっと毎日たくさんある。そのせいで毎日多くの犠牲が生まれているのかもしれない、と思うと胸が痛い。

 だからこそ、SOSを感じられたなら「誰か」のまま放っておいたら悲しい、と私は思う。確かに、自分とは関わりのない、知ろうと思わなければ一生知らず、だからといって自分が困ることもないだろう。しかし放っておけば苦しむ時間が増えてしまうその存在を見つけたなら、私は助けたい。震災を経験したあの時に全く知らぬ誰かから頂いた支援物資、義援金、薄っぺらくない温かい言葉・・・・・・。親切は、優しい気持ちは巡り巡って自分に返ってくると思う。私はあの時十分に頂いた優しさを、返したい。

 

 東日本大震災から今日で7年半。色んな事が起きても、この日の事も是非忘れないで欲しい。そしてその被災者は、悲しみや傷は月日が経っても癒えるものではないと思う。しかしその傷だけでなく、多くの「誰か」から受け取った優しさを、今SOSを発している「誰か」に返すことも、考えてみてもいいのではないだろうか。

 先日起きた地震と、7年半前に起きた地震に思いを寄せて・・・・・・私は、今すべきことを考えたい。

ファフロツキーズの夢

 幸せなような涙が出そうなこの気持ちは何て言うんだろう・・・・・・。

 ふと、セカオワのRAINの歌詞が頭に浮かんだ。まさにそれの言葉が私があの時思った率直な感想だった。

 

 先月の中旬。自身が所属する合唱同好会で、静岡に遠征&合宿に行った。海に行ったり、夜にみんなで集まってゲームをしたりと、楽しい時間を過ごせた。

 しかし一日目の夜。片目のコンタクトが外れなくなったと思ったら翌朝には目が腫れ、涙が止まらず、そのせいで鼻水と目やにも出て、ほぼ視界が無くなった。目を閉じているのも開けているのも痛くて夜は全くと言っていい程眠れなかったし、あまりにその痛みがひどくなって本当に目も見えなくて危なくなってきたので、やむを得ず医者に連れて行ってもらった。

 医者に言われた病名は、角膜潰瘍炎。角膜が傷ついて傷ができている為、治療が必要と言われ、割と多量の薬をもらった。

 なんか、とてつもないショックを覚えた。自分を医者に連れて行ってくれたせいで沼津の合唱カンファに遅れてしまった仲間に申し訳ないという思いと、コンタクトが外れなかったことは今までなかったのに、どうして今なんだろうという思いと・・・・・・。

 しかし、ショックはその後更に襲ってきた。

 医者に行った次の日は、朝日コンクール。しかし医者に次の日も必ず眼科で検査してもらうように、と指導されていた。そしてその夜、それに出るか出ないか、という話になった。

 幸い発表順は午後三時とか、遅めで、友達が眼科行ってからでもコンクールに出れるような新幹線の時間を調べてくれ、予約してあった特急をキャンセルして新幹線でみんなより先に長野に戻って眼科行ってからコンクールに行く、という案も出してくれた。

 しかし、両親に電話ですぐに却下された。その友達も泣きながら説得してくれたらしいが、それは変わらなかった。

 一度、新幹線で変えるという案を出してもらい、少し望みを持っていた私だが、こうなることは今までの経験上予想していたから、別に驚きも反抗も何もなかった。むしろ、ああやっぱり、という納得をした。

 しかしどうしても悔しい気持ちは抑えきれず、電話で母に大泣きしながら悔しい気持ちをぶつけた。意見を変えて欲しいというわけではなく、ただ私の気持ちを、弱さを、聞いてほしかった。甘えたかった、悲しいときこそ、素直に。

 電話で私は愚痴ではないけど、色々母に思いをぶつけた。

 ”パパとママは私の健康とか、病気とか心配してこういう決断したのは分かってるよ”

”だから文句ないしありがとうって思う。気遣ってくれて、愛してくれて”

”でもやっぱり、私なりには頑張って来たから、出たかった”

”最後のコンクールかもしれないから、出たかったんだよ”

 母はうんうん、と言いながら聞いてくれた。しかし、コンクールに出られないという事実は確定事項で変わりはしない。

 これで良かったんだ、私は必死に自分で言い聞かせた。ただでさえもう迷惑かけているのに、万全じゃない状態で出てこれ以上みんなに迷惑をかけたくないし、それは自分にとってコンクールに出られない事より、何よりも一番つらい事だったから。

 翌朝。コンクール会場の最寄り駅に母が迎えに来てくれ、そこでみんなと別れた。絶対に泣かないで、頑張ってねって、さよならするつもりだったのに、ばりばり大泣きで大したことも言えなかった。

 

 後日。友達から、コンクールの結果を聞いた。今まで銅賞続きだった同好会で初めての銀賞という、自分たちにとっては誇らしい結果だったそうな。

 その結果を初めて時、私が思った率直な感想は、

幸せなような涙が出そうなこの気持ちは何て言うんだろう・・・・・・。

あの歌詞のワンフレーズ、まさにそれ。

 おめでとう、と言いたい。しかし子供な私は素直にその結果を喜べなかった。

 そこになって、自分の弱い部分が出てきてしまった。それは、自分自身に対する過度な自信の無さ。私がいなかったから、いい賞を取れたのではないか。もし次があって、私も加わってコンクールで歌ったならまた銅賞なのではないか。自分がいなかったから良かったのかな。自分がいつも下げているのかな。怖い・・・・・・。

 その可能性少し怖くて、プレッシャーで・・・・・・。私は、その結果を喜んだものの、心の本当に底からは喜ぶことができなかった。何とも言えぬ、複雑な気持ち。

 しかし私がそういう感情むき出しでいたら皆も素直に私の前で喜んだり、その事を口にしたりできなくなるだろうから・・・・・・と思ってそれは少し黙っていた。だからここで少し弱さを出させてもらう。

 

 そして今日。そのコンクールでの発表の録音を聞いた。私は平穏な気持ちでそれを聞いていられるか少し不安だった。

 発表について、少しやらかしちゃった、と聞いていたが、録音を聞いて思ったのは、確かに少しやらかしているな、という事。ピアノと声が合っていないところなどがあった。しかしそれ以上に思ったのは、素直に、綺麗だなという事。なんだか、どこが素敵、ここがこう、とかはうまく言えない。しかしなんだろう、皆の気持ちが同じ方向を向いているというか、そういうようなまっすぐさのある響きがグッときた。

 それを聞くと、結果を聞いてから抱いていたマイナスな感情が、醜く、馬鹿らしく思えた。そう思い直してしまう位、とにかくまっすぐであたたかで優しい響きだった。

 録音を聞いた後、一人一人に感想を求められた。まさか自分は聞かれないと思っていたが、聞かれて驚いた。

 その時は、何て言ったらよいか分からなくて、無、と言った。

 今冷静になって考えてみても、それは割と適切だったと思う。いい結果で、幸せなような気持ちがある反面、涙が出そうな、何とも言えぬ複雑な気持ちもある。それは少しは浄化された者の、正直に言って、まだ全然消えたわけではないから。

 でも強いて言うなら・・・・・・私はまだ子供だから、やっぱり涙が出そうな気持が少しだけ強いかもしれない。

 この一連の出来事、結果は私にとってはちょっとしたファフロツキーズの夢だった。そうとでも言っておこう。

歌と私

 思えば昔から、自分は歌うのが好きだった。

 

 音大声楽家科出身、私が小さい頃は舞台でミュージカルにも出演し、その後私が小学生になってからとかは自宅でピアノと歌の先生をしていた母。そんな母の影響で、物心ついた頃から音楽に縁のあった私。

 クラス合唱の曲の楽譜を持って帰って来る度、「ちょっと見せて」と言っては熱心な指導が始まり、私はそれを割と真剣に聞いていた。

 小学校高学年になり、音楽の授業で発声の仕方など本格的な歌の指導が始まった。

 それが始まった直後、授業で二人組になってある曲をソプラノとアルトに分かれて歌って発表する、という内容の発表会が催された。

 名簿順に組まれたペアで私は女の子とペアになり、ソプラノをうたった。順番は最後から二番目。前の方のペアの緊張ぶりを見て、皆の前で歌う事の緊張感を、自身も察した。

 そして自分たちの番がきて歌った後。先生や周り、皆の間に沈黙が訪れた。自分なりには大きな声で歌えたし少し自信もあったのに、だんだん怖くなってきた。ペアの子も同じ様子。

 しかしその後すぐ、

「いやあ~、このペアいいんじゃない?素敵だよ。みんなもそう思わないかい?」

先生のそのコメントの後、みんなが笑顔で拍手した。

 途端に怖さが一気に消え、私は思わず口元が緩んだ。

 ただただ嬉しかった。みんなや、何より先生に褒めてもらえて事が初めてだったから。何だか自信を持てた。そしてずっと音楽に触れてきた今までの中で初めて、音楽、歌うことの楽しさを知った。

 そしてそれからは音楽の授業での歌の鑑賞、練習、クラス合唱・・・・・・。歌うこと全てに楽しさを感じ、自分の世界が、楽しむ可動域が広がったかのように感じた。 

 

 しかし、それはあまり長くは続かなかった。

 その発表会後、歌や音楽の事で先生から一目置かれた私は、(まあやりたくはなかったが親がピアノの先生という事でやらされた)音楽会でのピアノ、授業でのリコーダー、更に勧められた作曲(やりたくなくて母にやってもらった)など様々な事で熱心な指導を受けるようになり、音楽の事では若干ひいきされていた。それは小学生の子供でも感じてしまう位、割とあからさまなものだった。

 そうなるとまあ当たり前だが、面白くないのは、周りの子たち。私も、褒められたのが初めてという事で少し浮かれてしまっていたのもいけないが、嫌味を言われるようになった。

 具体的には、歌というより、音楽全体に関して。リコーダーのテストで私より先に誰かが合格すると他の子に

「夜雨ちゃんお母さんピアノとか楽器できるのに夜雨ちゃんはそうでもないんだね」

「普通じゃん」

「別に才能あるとかじゃないね」

と言われ、驚いた。誰もリコーダー得意なんて言ってないし、と私は思った。そして何より、音楽に長けた母と比べられるというのが辛かった。

 そして学校によく他の人とボランティアで歌やピアノの発表に来てた母が学校に来て歌を発表した後何て、最悪だった。

「お母さんは、めっちゃうまいよね。お母さんは」

「あんなお母さんいて、よくそれくらいで調子乗れるね」

 私は声を出さずに、みんなのいないとこで泣いた。悔しかった。自分は、確かに誰かに褒められるのは嬉しいけれどでもそれより、褒められたり認められたりするために歌いたいんじゃない。ただ好きで歌いたいのに。それだけなのに。どうして、他人から勝手に評価されて人と比べられないといけないのだろう。

 小学生の嫌味何て、大人からしたら大した意味のない、ただの戯言。そう思うかもしれない。しかし当時の私は、とても傷ついた。人と比べられることが何よりも嫌いだったから。そして、嫌味を囁かれるたび自信を無くし、歌う事が怖くなり、逃げたくなった。

 そしてそれからは家に楽譜を持ち帰って母が指導してくれようとするのを強く拒んだ。

「なんで?前はやってたじゃない」

純粋に不思議がる母に

「うるさい!もう歌嫌なの!あんたのせいだよ!」

泣きながら八つ当たりし、一切歌う事に手を入れなかった。

 嫌味を言われるのも母と比べられるのも、もうすべて嫌になり、歌う事を私はそれから避けるようになった。

  

 しかしそれから数年後。転校先の中学で、歌が好きな人が集まった有志合唱団ができたとき。それを運営していたのが仲良しの友人だった縁もあり、私はそれに参加するようになった。しだいにそれに弟も参加し、人数の少ない合唱団に姉弟で参加するという状態になったから、笑える。

 しかし弟の参加は当初、私を不安にさせた。吹奏楽部に入り、やったことのない楽器で才能を見せ、音楽センスで周りから高評価を受けていた弟。あの時の嫌な思い出が蘇った。

 また、比べれれちゃうのかな・・・・・・。

 本当に不安だった私。しかしその心配は無用だった。みんなあたたかく、才能や何かより歌が好きという、ただそれだけで繋がれるような、居心地のよく素敵な環境だった。だからといって歌に自信を持てないことということはなかなかちょっとやそっとで変わるわけでもなかったが・・・・・・。

 まあそれができたのが三年の秋で、すぐに受験前となってそこで活動できた期間は短かったが・・・・・・。

 

 そして、高専に入り・・・・・・。

 一年の時に合唱同好会ができて、二年になってそれに加入したのは、その加入までの期間に自分の中で葛藤があったから。

 自信がないし、歌うのもまだ怖い。そして何より、一度逃げたいと思い、少し前までなるべく避けていた合唱なんて・・・・・・。

 しかし、結局私は加入した。

 それは、自信がない、怖いといった感情の中で、それよりも強い、歌が好きという気持ちの存在に気付いたから。

 好きなことを、できないなんて、好きなことを好きでいられないなんて、なんてもったいないのだろう。

 私は歌う。本当に自信は全くという程なく、怖さは限りなくあるけれど。そして誰かに、他人と比べられたら・・・・・・と思うと怖いけれど。しかし、歌うのが好きだから。ただ、それだけ。

 好きなことを堂々とできる、そんな人間になりたくて、変わりたくて・・・・・・私は歌に、そういう自分を求めている。

 変わるきっかけ。それを歌とするなら、今はただそれに励み、それを心から楽しみたい。

少女が大人になれるその時は・・・・・・

 少女は、子供のまま。大人になれる日は、どうやらまだ先みたい。

 

 少女は今まで人を信じる事で、かけがえのない友を手にし、人間関係を構築してきた。自分が信じないと相手に信じてもらえるわけがない、という母の教えを受け、少女は人を信じる事を一番に考え、それを強みに生きてきた。

 人を信じる素直さだけが少女の取り柄。しかしそのたった一つの取り柄が、後に少女を傷つける事となったのはやけに蒸し暑い、ある夏の日。

 

 元居た土地を離れ、新しい人間関係の輪に入った少女を、その輪の住人たちは温かく迎えてくれた。男子、女子、明るい子、大人しい子・・・・・・。まさに十人十色の彼らに、少女は得意の、相手を信じる事で歩み寄り、すぐに輪に馴染むことができた。

 その中でも特に少女に親しみを込めて接してくれた女の子がいた。彼女は、一人の妖精。かわいくて優しく、少女とはすぐに仲良くなったが、他の子たちとは違う体質や性質を持っていた。

 少女はそんな妖精を気に入り、妖精も少女を気に入り、少女と妖精のあたたかくのんびりとした友情が構築された。

 しかしそんなある日。妖精が羽の輝きを失っていることに、少女は気づいた。周りの子たちに聞き、理由はすぐにわかった。妖精は、一部の子たちにいじめられていた。妖精が、その特異な体質や性質を持っていたがために。

 真ん丸くつながった人間関係の輪の中で、妖精は実は今まで、一人真ん中の空間に取り残されて生きてきたのだと少女は知った。

 そして妖精を空間に取り残したのは紛れもなく、少女が信じる事で仲良くなった子たちだった。裏切られた、と少女は感じた。

 少女はその時、全てを察した。今までの自分の事を。

 信じる事は生きる源。そう教えられ、そう信じてきて、そうすることで結果誰しもが幸せな輪を築けてきた。しかしそれはただ、周りの環境が温かく、優しく、平和だったから成り立ったというだけの事。結局のところ、実際ヒトはどんなに信じたとしても、それを利用されて裏切られる。信じるだけ、自分が悲しくなるだけだ。

 妖精が羽の輝きを失ったと気づいたやけに蒸し暑い、ある夏の日。少女は今までの自分を、唯一の取り柄で輝きであった信じるという事を、封印した。自分を守るために・・・・・・。

 

 それから数年後。少女はまた、新たな輪に入った。そこで少女は友達を作るために、かわいらしいお姫様に声をかけ、少女はお姫様と友達になった。

 お姫様はかわいらしいだけでなく、優しく明るく、お姫様と一緒にいる事で、少女はお姫様の友達とも友達になれ、嬉しかった。

 しかし時間が経つにつれて、少女にあの頃のトラウマが押し寄せてきた。

 こんなにお姫様を信じていいのか?信じて、裏切られたらどうしよう、怖い・・・・・・。

 極端な考えかもしれないが、少女は本当にそれが怖かった。それは妖精との交流で、ヒトに裏切られたという事の怖さが尋常がなかったから。そしてもう一つ。

 妖精は羽の輝きを失った後、皆の前では少女の前に姿を見せられなくなってしまったから。少女は妖精を必死で助けようとしたが、妖精は透明な魔法にかかってしまったかのように、一向に姿を見せなかった。ちかくにいながらサポートできなかった。少女はそれにひどく責任を感じ、自分を責めた。

 自分なんかといたから、きっと妖精は・・・・・・。

 そしてお姫様といる今。少女は裏切られることの怖さと同じくらい、自分といる事でお姫様が傷つくのではないか、という怖さに襲われ・・・・・・自ら、お姫様の元を退いた。わざとお姫様に嫌われるような態度を取って、その後は静かに去った。

 我ながら不器用だと、少女は痛感した。しかし少女は過去のトラウマを忘れる為、ぶり返さない為、そうせざるをえなかったと、後に自らに言い聞かせた。

 

 そして少女は今、その輪でにいつつも、自らに透明な魔法をかけ、ひっそりと息をしている。

 所詮ヒトの少女。たまにその魔法が効力を弱めて解け、少女はヒトの輪に姿を現してしまう。その度に、声をかけてくれる優しい子たちは何人かいた。しかし少女は魔法にかかっている間にもますます、信じる事や、ヒトそのものが怖くなっていた。そして自らを守る為。、少女はわざと素っ気ない素振りをとり、慌てて魔法の力の回復を行った。

 それを繰り返すうち、少女の魔法はちょっとやそっとで解けなくなった。完全に透明になった。

 そして、少女は一人になった。

 一人というのは、誰かを傷つけず自分も傷つけない代わりに、空っぽだ。少女は妖精が苦しんでいた空間に自ら飛び込んだのだと、よくよく考えてやっと気づいた。

 妙に無機質な世界。

 そんなとき少女は、輪の住人が透明な自分に対し、あいつってひとりぼっちだよね、と言っている声を聞いた。嘲笑も哀れみもせず、ただその状況を表すかのように、ぼそっと言った声だった。

 「ひとりぼっち」

 耳にしたその言葉を頭の中で繰り返した時、少女の目から涙がこぼれた。

 あっ。

 そこで、少女は気づいた。自分は逃げてばかりで本当はそれが悲しくてつらかったのだと。

 話しかけてくれた子たちを、よく知りもせず知ろうともせず避けていたこと。

 過去の悲しみ、トラウマに囚われすぎて少女は自分のことまで、取り柄まで嫌いになっていたこと。

 

 涙を流しながら、少女は思った。

 私、本当は一人なんて嫌だったんだ。一人なんて寂しい。誰かにそばにいて欲しい。私はもう・・・・・・一人ぼっちになりたくない・・・・・・!

 そう願った瞬間、少女の魔法が解けた。

 

 集まる数人からの視線の中、一人の子が少女に笑いながら話しかけてきた。

「久しぶり。元気だった?ほら、こっちに来て遊ぼうよ」

少女は照れながら答える。

「んー、まあ、行くだけ行くよ」

素直じゃない。

 

 少女は、子供のまま。素直になれる日、自分の取り柄を再び取り戻せる日、大人になれる日は、どうやらまだ先みたい。それでも少女は、一歩ずつその日に向かって歩み始めている。

 自分に素直さ、信じる事の素晴らしさをプレゼントできる日を・・・・・・少女は、もしかしたらお姫様はずっと、そっと待っているのかもしれない。

一つの約束

 祖母の家にいる間は、これでもかというくらいに、本当に祖父の話ばかりだった。

 「朝起きたらな、咳せんと声でない時もあんねん」

話し相手がいなくなって、全く声を出さない日もあるという祖母が、笑いながら話す。話し相手がいないというのは、どんなに寂しく退屈で、つらい事なのか。完全には理解してあげられないが、想像はできる。

 そういう日も少なくはないからなのか、私と母がいる間、祖母はほぼ絶え間なく話し続けた。元から話好きな関西人の性質を考慮しても、その話しぶりはやや異常だったが、毎日一人の祖母の話し相手になれたことが嬉しくて、私も母も一緒になって夜遅くまで話し込んだ。

 

 ふと、祖母が何かを持ってくる。

「これ、みょうちゃんの財布やねん。もう入院決まってからはお金は何も入れとらんかったからな、カードばっかやねんけど」

祖母の手には、祖父が生前愛用していた、深緑の財布が握られていた。

 「でもな、財布にこんなもん入っとってんよ」

祖母が財布から何かを出す。

「ほれ。これあんたが三歳くらいの時やから、もう十五年も前のんか。こんな前のん、みょうちゃんずっと、財布のチャック付きのポケットの中に大事にしまっとってんよ。知らんかったわ。こないだ気づいてん」

それは、私が三歳、姉が五歳の時に家族で撮った、七五三の家族写真だった。まだ一歳の幼い弟は、父の腕に抱かれている。

 十五年も前にとったこの写真を、祖父はずっと肌身離さず持っていてくれた、という事になるだろうか。じーんと、心に来る何かを感じる。

 「それと、ほれ」

祖母はもう一枚、同じ大きさの写真を見せる。それは、その家族写真を撮った三歳の時の私が、一人で写った写真だった。

「あんま姉ちゃんや弟ちゃんの前では大声で言えんけどな、みょうちゃん、夜雨ちゃんを溺愛していたけんな、あんたのだけ一人で写った写真もちゃっかり一緒にポケットに入れていたみたいやねん」

祖母が笑う。

 「もうおじいちゃん、あんたの事ほんまに大好きやったもんな。」

「最後までずっと、夜雨ちゃんは次いつ来るんやって聞いとったし」

祖母と母がそう、笑う。私は何だか複雑な気分だった。私の後悔はまさに、

「夏休み来てな」

「次いつ来るんや?」

を繰り返していた祖父に、次を与えてあげられなかった事だったから。

 写真の中の私が着ている桃色のかわいい着物も、祖父が買い与えてくれたもの。たくさん与えてくれた祖父に私は何も与えて、返せてあげられなかった。それが今も、ただただ後悔。ただただ心残り。

 そんな複雑な気持ちから、二人の会話が耳を通り抜けていく。

 すると、

「あっ!」

祖母の大きな声で我に返る。

 「どうしたの?」

すると祖母は、財布から千円札を一枚取り出す。

 「あれ?お財布の中にお金っていれていなかったはずじゃ・・・・・・」

「そうやねん!でも一枚入っとってん。私らがいない時、病院で飲み物とか欲しくなった時に買えるようにって、みょうちゃん千円だけ入れ取ったのかもしれへんな」

「おじいちゃんしっかりしているさかい、きっとそうや」

しっかり者の祖父について、みんなで推測する。

 すると、祖母がさっと、それを私の手に握らせる。

「これはあんたが持っとき。他のんと区別つくように、それこそ財布の、お金入れないポケットにでも入れておき。みょうちゃんの形見や思って」

「え、でも、これはおばあちゃんが持っていた方がいいんじゃない?」

毎日おかずを供え、まだ一緒にご飯を食べている気分になっているラブラブな夫婦を思い、私は慌てて遠慮する。

 「ええねんええねん、私はもうおばあさんやし、いつも近くにみょうちゃんがおるからええねん。せやから遠くにおるあんたが持っとき」

「もらっといたらええやん。あんなに溺愛されているんやし」

「せや。みょうちゃんは夜雨ちゃんが大好きやってん。あんたが持っとくんがみょうちゃんの幸せや」

二人に説得され、私は半強制的にそれを握らされる。

 何の変哲もない、ごくごく普通な千円札。しかしそれは、大切な祖父の形見。

 私はそれを、他のと区別できるように注意して、財布の小さなポケットに、そっとしまった。

 それはまるで、祖父が私や、私の家族の写真を長年財布のポケットにしまっていたかのように、そっと、大事に・・・・・・。

 

 そして、別れの時がやって来た。

 祖母の家を後にする際、祖父に手を振り、別れを告げてきた。

 駅に行く同中の車の中で、

「私、じいちゃんのあの写真見たら、涙出てきた。本当にいい顔しとって。もういないんやわあ思って」

「そういやあのみょうちゃんの写真も、七五三の時のやなあ!」

そこで私たちは、意外なつながりに気付く。

 「せやったら良かったなあ、あの写真にして。正解やったわあ」

祖母の声に、二人で頷く。

 「ところで夜雨ちゃんは、みょうちゃんもういないんやなあってあの写真見て思ったん?」

祖母の声に、私は

「いや。そういう感じがしない。まだどっかにいるって思っちゃう」

と即答する。

 本当にそうだった。ずっと遠くで暮らしていた分、しばらく会えないのは当たり前。それにおじいちゃんが、私の事大好きなおじいちゃんが私を置いてどっかに行ってしまうわけがない。

 だから形見なんて、言ってほしくなかった。形見なんかじゃない。あれは・・・・・・

「ほんならまた会うた時、千円返したって。それまで預かっといたってよ。これ、約束な。みょうちゃんと、あんたとの。それで会えたら、あんたこれ忘れとるでって、笑うてやって~笑」

私の心中を察したらしい祖母が明るく笑う。その祖母の冗談が、今は優しく胸にしみた。

 

 福島へ、祖母の家にへ来て、私は何がしたかったのだろう?

 現実を受け止めたかったのか、祖父母に会いたかったのか、それとも現実逃避をしたかったのか。

 分からない。しかし結果的には、現実を受け止められていない自分を知ることとなった。

 これから、どう生きていけばよいのだろう?考えると不安は尽きないが、私は祖父に返し、与えないといけないものができた。だからそれを達成できるまで、私は頑張らないといけないような、そんな気がした。

 あれから49日。財布の中に、祖父との一つの約束が温かく宿る。