徒然夜

孤独にあるのにまかせて、夜にPCと向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみる

右手から世界を

 「重要なことは、物語を『発明』することではなく、そこに世界や人間を『発見』することだろう」

これは、劇作家・演出家などとして活躍する、平田オリザの言葉である。またその他、作家のナディン・ゴーディマ、遠藤周作それぞれの、

「書くことは私にとっては人生を理解する方法である」

「自分の信念にゆさぶりをかけるために書く」

と、いう言葉がある。しかしいづれの言葉も、意味合いは前者の言葉と大して相違はないだろう。むしろ、前者と後者は限りなく類義。

 小説の作り方について、説明と描写の違いから読者と作者の距離まで、「書く人はここで躓く!」(宮原昭夫 著)という本では、事細かに説明されている。

 様々な内容が載っているその本で、私の心に一番響き、もっとも心が動かされたのは、先に挙げた作家たちの言葉…つまり、書くことの意味についてだったのだ。

 

 思い返すと、一番最初に小説と呼べるほどではないが、物語を書いたのは小学校低学年の頃だった。そんな幼い頃から今までで、一貫して変わらぬ好きなことと言えば、小説を書くこと。これくらいではないかと、常々思う。

 話は変わるが、絵画やお楽しみ会の企画など、自分の意見や想像力を求められる場が、私は幼い頃から苦手だった。大人や、他人の真似ばかりしてきたから、そうやって育ってきたから。誰かの真似をせずに個や芯を持って何かに取り組むこと、それが本当に苦手で、そういう場は私を毎回憂鬱な気分にさせた。

 しかしそんな自分でも、迷いなく悩むことなく、自分の個や芯を発揮できた場があった。それこそが、物語の世界。小説を書くことだった。

 そんな世界を制限され、失うことが私は怖かった。そして何かを習うと、それに囚われて自分を見失ってしまうことが分かっていたから、私は今まで、あまり小説を書くことを何かに習うということをしてこなかった。

 しかし、最近。色々考えた末、やはり自分が好きで好きでたまらないのは、小説を書くことだと分かった。そして好きならば、上達させたい意を持つことは勿論。その為には、やはり小説を書くことを習い、学ばなくてはいけない。

 私は中2で参加した文章講座以来再び、数年ぶりに書くことに真剣に向き合う事を選んだ。

 学ぶことで、それに囚われたら…と、考えると少し怖い。しかしその怖さよりも、学ぶことで自分は成長できる、そして学んでも私は自分の世界をまだ創造できるという、どこからともなく溢れる自信の方が大きかった。

 

 そこで私は、まず小説の作り方について説明してある、先に挙げた本を読んだ。

 細かい構成の仕方などが載っていて勉強になったが、意外な事に既に自分が知っていたり、無意識に実践したりしていることもかなり多いな、という印象を受けた。

 一方その反面で、自分が今まで分からなかったことについても説明されていて、長年の懐疑の念が解けたような、そういうこともたくさんあった。

 

 しかしそういう作り方の詳細よりも、自分の印象に強く残ったのは、最初に挙げた言葉たち。書くことの意味についてだったのだ。

 3つの言葉たちの意味を要約すると、つまり書くこととはこういうことだと、筆者は述べている。

「創作とは、今まで作者が獲得したものを吐き出した結果なのではなく、創作それ自体が、作者が新しく何かを獲得する方法だ」

 何かを発見したからその発見について書く、ということでは終わらない。その発見について考えているうちに、自分では思いもしなかった新たな発見に気付いていく、ということが書くことの意味。

 なんて奥深いものなのだろう、と私は一時の感銘に浸った。そしてそれは奥深い分、難しい。

 「オセロゲームより囲碁の方がなかなか飽きないのは、そっちの方が難しいからだ。幸いなことに、小説書きは一生飽きない程に難しいのだ」

とも、筆者は述べている。深く納得だ。小説を書くという事には、人生の新たな発見の繰り返しが詰まっているのだから。

 

 最近、母に、

「私の人生クソだ」

なんてぼやいたら、

「いいじゃない。あなたは好きな小説を書くことのネタになることが、たくさんあって」

と、返されて大そう嬉しい思いを抱いたのが、胸によく残っている。

 本を読みながらその言葉を思い出して、私はある発見をした。

 自分の、クソだと思う人生の出来事をネタにして小説を書いたとする。そして、小説を書くことで新たな発見ができたのなら。そしたら、それは小説を書くことの意味を遂行できただけではなく、それと同時に、クソな人生のなかでの発見を客観的にできるのではないか、と。

 それができれば、どんなに自分の勉強になることだろう。

 ただ好きなだけでなく、今までうまくいかなかったことに対する新しい見方を発見するという勉強も同時にできたのなら…私の書くことの意味は、大いにある気がする。だからこそ私は、これからも書き続けたい。そして発見したい新しい見方が尽きない限り、いくらでも世界を創造する事は可能だ、とも思う。

 

 本を読むことで作り方はもちろん、自分が小説を書くことの意味さえも再発見できた気がした。幸福なことだ。

 そしてそんな意味の元で創造する世界をより多くの人の共感を得て、美しくするために、自分にはまだまだ勉強しないといけないことが溢れている。

 今のせっかく自由に使える時間を有効に使って、「好きなこと」を少しでも「得意」に発展させられたら、嬉しい。

 

 久々(かなぁ?)の、ブログ。いい終わり方が思いつかないが、ここまでとする。