徒然夜

孤独にあるのにまかせて、夜にPCと向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみる

魔法のハンカチ

 小さい頃から、私はかなりのおじいちゃんっ子だった。

 2歳年上の姉が幼稚園に通い、私はまだ通う歳ではないという2歳の頃。私が生まれた1年3か月後に、弟が生まれた。その頃から、父は仕事で、母は赤ん坊の弟の世話に大忙し。私は、祖父母の家に毎日のように預けられていた。

 そういう事情もあって、幼少期に一番祖父母と過ごした時間が長かったのは、姉弟三人の中でも、特に私だった。そして祖父母のうち、より私の面倒を見てくれたのは、おじいちゃんだった。

 

 学業に長けていたおじいちゃんは、私が小さい頃から熱心に勉強を教えてくれた。ただ勉強しなさい、と言うのではなく、分からないところなどを親身になって、寄り添って教えてくれた。そういう事もあって、私はおじいちゃんと勉強するのが全く苦ではなく、むしろ楽しかった。

 負けず嫌いでプライドの高い私は、教えてもらったことを中々理解できないと、すぐに泣いていた。そんな私を叱ったり見捨てたりせずに、

「魔法のハンカチやで」

と、ハンカチで顔を拭いてくれたおじいちゃんがいたから、私は諦めずに勉強を続けてこれたのだと思う。

 思えば、授業だけで、一筋縄では理解できない不器用な私に、勉強する習慣や努力する習慣を与えてくれたのも、そういう風に育ててくれたのも、紛れもなく、おじいちゃんだと思う。それは受験などで私の大きな力となったし、努力をするという事は、確実に私の大きな武器になった。

 勉強だけでなく、自転車の乗り方、パソコンの操作の仕方、お皿洗いの仕方など、今にも役立っている色々な事を教えてくれたのも、おじいちゃん。

 

 優しくて物知りで、面倒見のいいおじいちゃんが、私は大好きだった。

 今でも覚えているのだが、小さい頃、おじいちゃんが私にだけ甘すぎるという事が小さな問題になったことがあった。

 私は本当に実感がなくて、それを少し不思議に思いながらも、性格が悪いから、内心ではかなり喜んでいた。姉弟に対する罪悪感は持ちながらも、そこまで明らかに自分を愛してくれているという事が、子供ながらに本当に嬉しかったのだ。

 

 そんなおじいちゃんとは、中2で私たち家族が県外に引っ越した事を機に、少し疎遠になった。

 しかしおじいちゃんっ子の私は、長期休みの度に、可能な限りは一人ででも、新幹線に揺られておじいちゃんに会いに行った。

 私が会いに行く度に、おじいちゃんはとても喜んでくれて、私が帰る時にはいつも

「あんたが来てくれて嬉しかった。楽しい時間をありがとう」

と言ってくれ、入場券を買って、駅のホームの中まで見送りに来てくれた。

 

 いつも明るくて関西人っぽいジョークが楽しい、おじいちゃん。しかし去年の五月。おじいちゃんの肺に、癌が見つかった。

 定期検診を欠かさずに行っていたおじいちゃん。発見が遅れたのは、完全に医者の問題だと、医者に何度も謝られたそうだ。そう、癌が見つかるには、遅過ぎた。見つかったころにはもう、手術で治す術は無かったのだから。薬による延命治療しか、道は残されていなかった。

 余命は、3ヶ月とも告げられた。

 

 そこからは、会いに行く頻度が少し増えた。しかし会いに行っても、家におじいちゃんはいなくて、おじいちゃんは無機質な白さが広がる病院にいた。

 肺癌だから、おじいちゃんはよく苦しそうに咳をしていたし、声も出ない日もあった。それでも、以前と同じ明るさは、おじいちゃんの中に健在していた。

 

 今年3月。顔や体がぱんぱんに膨れる皮下気腫というものになり、もうあと少ないという連絡を受け、私は母と、急遽病院へ向かった。

 その時のおじいちゃんは、顔が2倍くらいに膨れて、口にはチューブをしていて、目も開かなかった。

 もう、ダメなのかな……。

と、初めて思った。

 しかし、そんな私を、指で瞼を抑えて目を開け、必死に見つめて手を握ってくれるおじいちゃんが、本当に嬉しくて……。そんな事、考えないようにした。

 

 私が長野に戻っても、母は1人で、1ヶ月に一度ほどの高い頻度で病院へ行った。

 その時に母が話してくれた、

「おじいちゃん、ママの手を取って夜雨って言ったのよ」

というエピソードは、とてもよく覚えている。何だか、すごく嬉しかったから。

 

 その後、おじいちゃんから私の携帯に電話がかかってきた事もあった。間違えてかけてしまったらしいけれど、嬉しかった私はすぐにかけ直して、少しの間だが、話も出来た。

 

 そして、7月18日。母が病院から帰ってきてたったの数日後。

「おじいちゃん死んじゃった……」

母が泣きながら、会社から帰ってきた。

 3月に、もうあと少ない、という状態を見てきた私は、全くその実感を持てないでいた。あの状態を乗り越えたおじいちゃんが死んじゃうなんて、思ってもいなかった。余命と言われた3ヶ月も、もうとっくに過ぎていたし……。

 

 しかし、その2日後くらいの部活の日。その日の週末の部活を休む事情を言わないといけない時に、

「忌引きなので」

と、口にした途端、私の目から次々と涙が溢れた。

 私はおじいちゃんのお葬式なんかしたくないし、おじいちゃんは死んでなんかいないのに……。忌引きという言葉は、私に認めたくない現実を容赦なく突き付けた。

 その日は涙が止まらず、場所も気にせずに、戸惑う友達の前で盛大に泣いた。

 1人で抱えきれないような深い悲しみを、あの時は誰かに聞いてほしかったのかと、今になって思う。

 

 お葬式中は、全く泣けなかった。いつも明るかったおじいちゃんの前で、涙は似合わないと思った。だからわざと場違いのようなジョークを、柄にもなく言っていた。それは関西人っぽいジョークが楽しい、おじいちゃんをまねるかのように。

 そして、泣くのが怖かったから。だってもう、どんなに泣いても魔法のハンカチで顔を拭いてくれる人は、いないのだから。それを、分かっていたから。

 

 おじいちゃんがいなくなってしまって、私は深い悲しみに暮れた。私の事を、周りから羨まれる程に愛してくれた人が、いなくなってしまったのだから。

 亡くなる前に手料理を食べさせて上がられて良かったな、と思う反面、

「夏休み会いに来てね。待ってるから」

と、ずっと待ってくれていたおじいちゃんに対する、後悔の気持ちの方が尽きない。私は、こんなにも私を愛して、色々な事をしてくれたおじいちゃんの最後の願いを、叶えてあげられなかったのだ。間に合わなかった。

 

 そんな思いもあって、おじいちゃんの事を思い浮かべただけで、私は涙が止まらない。今でもまだ、思い出しては泣く毎日。何度も言うが、私は本当に、おじいちゃんが大好きだから。

 だからあの時、癌の発見が遅かった医者を、恨んでしまう気持ちも、正直少しある。その人を恨んだところで、もうおじいちゃんは帰って来ないのに……。

 しかしその反面で、私はまだ、亡くなったという事をきちんとは理解できていないように感じる。

 祖父母の家に行ったら、まだおじいちゃんがいるような、そんな気がしてしまう。

 結局は、その現実を信じたくないだけなのかもしれない。

 

 おじいちゃんが亡くなって、明日でちょうど100日。

 私の涙は、中々止まらない。だから早くもう一度、あの魔法のハンカチに、おじいちゃんに会いたい……そう願って止まない、どこまでもおじいちゃんっ子の私だ。