徒然夜

孤独にあるのにまかせて、夜にPCと向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみる

自分だけの、透明

 思えばいつでも、何をするにも、私は目的ばかりを考えてきた。

 何かに向かって頑張る事や、努力を積むことは好きだし得意な方だと思う。そうでもしないと、誰よりも不器用なくせに誰よりも負けず嫌いという自分の性質を満たせないから。

 しかし、目標や目的がないと何のために自分のどんな欲を満たすのか、何のために努力を積めばよいのか、本当に分からない。きっと世の中にはそういう疑問を抱きながらも、その先に見える何かに期待をして努力を積める人間が溢れているのだろう。そういう風にできる人は実に器用で、羨ましい。素直に憧れる。しかし残念ながら、自分はどうしてもそういう人間にはなれない。そうなる為に、無理をすることさえ私の中の本心が拒む。

 だから気づけば、私は何をするにも目的ばかり考え、その度に小さいながら目標を度々設定して努力を積んできた。

 高専生活2年半。楽しくなかったというわけではない。しかしどうしても、私は目的を見つけることができなかった。

 

 何のために専門的なことを学んでいるのか。何になりたいのか・・・・・・時間を費やせば見えてくると思っていた。しかし時間を費やせば費やす程、それは私から遠ざかり、ついには見えなくなった。

 はっきりではなくとも、透けては見えていたかもしれないそれが、完全に不透明になった。それをまず、体で感じた。その後しだいに、その状態が頭で分かるようになった。

 高専で勉強したい目的が、気づいたらもう、自分には考える事さえできなくなっていた。

 何のために学校に通うのか。それさえ分からなくなった。

 だから、やめてやった・・・・・・笑

 長い時間、両親も交えて真剣に考えた結果なのに、やけに軽い言い方だ。しかしあながち間違ってはいないと思う。端的な言葉で片づけてしまえば、そういう事なのだから。

 

 学校に行かなくなって、後期の授業が始まって、1週間が経った。

 ご近所さんからは平日なのに1日家にいる私を、まあ悪意はないのだろうが変な目で見られるし、土日と平日の区別もなくなって変な気持ちだし、弟は平日ちゃんと学校に行って夕方に返ってくるし・・・・・・そんなこんなで、孤独感や虚無感はまだまだ尽きない。

 しかし本当に私は選んだ今に後悔していないし、むしろ大満足である。

 何だか、素直に楽しい。

 目的が分からずそれに悩みながら学校に通っていたここ2年半より、明らかに楽しいし気持ち的に今の方が断然充実している。

 新しい目的や目標を何となくだけれど見つけられて、それに向かって好きなだけ努力を積める時間がある。今まで時間が無くてできなかった親の農作業の手伝いも、元から自然が好きだからとても楽しいし、料理や洗濯をしてそういう家事の腕を磨けるのも嬉しい。

 無理をしてやることが何もない。全て自分のやりたいことを、やりたいだけできる。そしてその、やった好きなことが、勉強にせよ家事にせよ何かしらの面で自分の力の向上に繋がっていることを、日々実感できる。

 それは、何て楽しいのだろう。嬉しい。気持ちがいい。

 

 そして、今まで学校に通っていた時間に勉強以外でもやることが増えると、楽しい事や興味をひかれることが少しは出てくる。

 中学の頃、周りから急かされるようにして決めてしまった進路。

 今はあの頃と違う。あの頃行き急ぐように慌ただしく、中身のなかった時間。そんな時間を私は今、数年たってもう後悔の無いように過ごし直す。

 そう考える事にした。高卒認定がまだとれていないから今年センターが受かっても大学に入れないことと、それ故みんなより1年遅れる事は確定している。でもその1年を、どう過ごすか・・・・・・私は、決して無駄にはしたくない。

 自分を見つめ直して、将来を考える1年と捉えて、少しずつ多方面において成長できるような、そんな時間の使い方をしたい。

 

 周りから見たら高専中退、中卒扱いでおまけに1年浪人みたいな私はみっともないかもしれない。

 しかしどんなに遅れたとしても、私は絶対に止まりたくはない。

 だからこの1年を自分にとって有効な1年にして遅れたり止まったりせず、むしろ成長した、進んだ1年にしたい。

 何かそう考えると、溢れてくるやる気がすごい。

 当初不安だった今の生活だけど、やってみたら、とりあえず毎日楽しい。それだけで、十分な救いだと思う。

 何だかやっと不透明だった存在が透けてきて、だんだんと視界が開けてきた。そんな感じがする。

 

 今まで周りや世間や一般論、そんな当たり前だけど堅苦しいものに囚われすぎて、自分の意を汲み取れずに生きてきた、そんな気がする。

 しかしもう、一度こうして周りや世間からずれたのなら、もういっそこのままずれて、どんどんずれていいや。

 それでもいいから私は自分の好きなように、意のままに、他の人には真似できないくらい自分らしく生きていきたい。

 そう思う事が出来た、ある透明な自分がいる。