徒然夜

孤独にあるのにまかせて、夜にPCと向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみる

終止符とリスタート

 5年間も通ったら、そのあとこの道を通らなくなった時、絶対寂しいよね。

 雨の日も風の日も、遅刻した日も・・・・・・。必ず通る、駅から高専までの通学路。毎日特に変わり映えのしないその道を歩きながら、私はふと、そう思ったことがある。

 通い慣れ、通い続けた道を通らなくなったその時は、きっと何とも言えない寂しさがこみあげてくるのであろう・・・・・・。

 しかし予想外な事に、私はそのわずか半分の2年半でその道を通るというルーティンに終止符を打った。

 それは同時に、私の高専生活というルーティンにも、終止符を打ったのだった。

 

 退学。

事務的な連絡などをする際に説明が面倒なので、手っ取り早いその二文字を使ってしまうが、実際は少し違う。

 まあ聞こえがあまりよろしくないが、言ってしまえば自主休学。

休学や退学と違うのは、学校に一応籍がまだ残っているということ。まあ名称がどうであれ、もう学校に行って授業を受ける事はあまいというか、無いであろうということに変わりはない。諸事情があって、そういう名称の処置をとったわけだが。

 

 がむしゃらに勉強して、理系教科が苦手だったにもかかわらず、高専に入って2年半。

 2年生の時に、母が私が中三だった当時進路指導をしていた先生に偶然会った時、

「夜雨最近どうですか、勉強は?いやー、点数足りていたからやめろと言わなかったのですが、あいつ理系向いてないじゃないですか」

と言われたと笑いながら話した。

 確かに、理系教科は苦手だ。数学的思考、みたいなのが皆無。中三の時志望校を高専といった時は、家族にはじめ大反対されていた。お前は向いていない、と。

 そんなの自分が一番わかっていた。しかし、その時の自分はまだ詳しい事が何もわからなくて、同じ学年の子はほぼみんな将来の夢や進路が決まっているという状況と、夢も進路も何も分からない自分、そしてそんな中進路決定を迫れれているということに、何だかとても焦りを感じていた。

 自分は昔から何かに興味を持つということがとても苦手だった。やれと言われた事しか、できないというか。だから、必然的にやることが見つかるような環境にいれば将来のやることもある程度決まるのではないか、そう思って受けたのが高専だった。

 試験の点も、結構いい成績で受かったから、まあそのまま高専に入った。

 

 しかし、入って3年目に差し掛かり、専門科目が増えても、何かに対しての興味があまり持てなかった。周りには何かに興味がある人が溢れているわけだから、自分もそういう所に行けば何かに影響されて興味を持つと思っていたのに。一向に染まれない。

 おかしいな、と思い始めた。

 そしてそれは興味が持てないというレベルではなく、モテなさすぎるというレベル。しかし何とか、とりあえず卒業はしようと頑張ってはいた。

 

 しかしそんな中、期末テスト2週間前を切ったあたりというタイミングで、大切だった祖父が亡くなった。

 悲しいのに、棺に入り、焼かれ、骨になった祖父を見ても涙があまり出なかった。泣くことさえできないというか。

 それから、私はおかしくなって、自分が壊れていくのが分かった。

 いつもならなにがあっても勉強をやる時期に、全く身が入らない。それだけでなく生活にも身が入らなくて、本当に毎日朝がきて夜になるっていうだけのような日々。

 そんな私は保健室で、精神的に来ているからテストどころではないと言われ、その後のテストは、まあ最悪。

 つらくてテスト自体うけなかった教科があり、夏休み中に追試と言われ、今度こそは頑張ろうと思った。

 しかし勉強だけでなくやはり生活にも身が入らず、毎日ほとんどの時間を寝て過ごすことになってしまった。寝たいわけではないのに、起きられない。

 そしてテストに行くことさえ億劫で行けず、後ろめたさからか家族になるべく会いたくなく、トイレとお風呂以外部屋にこもって、食事も食べないか、部屋で食べ、家族と挨拶以外一言も話さず目も合わさず終わる毎日が続いた。

 つまり、悪化。精神的な病気、と言われていたがそれに加え、一時期皮膚むしり症や咬爪症という体も傷つける症状も出た。

 それが続いていたある日。以前私を気にかけてくれた保健室の先生が心配して家に電話をくれ、親にバレた。

 

 そして久々に話す親に最初に言われたのが、

高専やめる?」

だった。素直に、驚いた。私は確かにやめたいな、と最近思っていた。興味がなかなか持てない自分、精神的なダメージで一度遅れをとったことに対する焦り、それによる更なるダメージ。追い詰められていた。

 しかし、親がそういうのに肯定的だとは思わなかった。否定されると思っていたのに。

 しかし更に驚いたのは、父は私が部屋に引きこもる以前にもうそうなったときの準備を初めて資料もいろいろ取り寄せていた事。

 そして親にそう言われた直後、私は学校をやめるというか、もうそんな行かずに進路変更する決意をし、もう準備を終わらせた。

 親に迷惑をかけたな、と思っている中、母がかけてくれた

「母さんは夜雨ちゃんが元気なのが一番だから」

という言葉にすごく救われた。

 普通、娘がそんな事言い出したら反対するのだと思う。しかし私に寄り添い、今後の事も一緒に考えて、毎日いろいろなことを一緒に調べ、教え、相談に乗ってくれる親には本当にただただ感謝するばかり。ありがたい。

 

 長いようで短かった高専生活。

それに終止符を打つ理由やいきさつは、まあこんなもんであろう。

 今後の事ははっきり言ってめちゃめちゃ不安だ。また何かが起きて何にも手が付けられなくなったら・・・・・・と考えると、怖くて仕方がない。

 しかしこんな出来損ないというか、迷惑かけてばかりの私を見捨てずに寄り添ってくれている親の為にも、再スタートを切って頑張りたいところである。

 仲良くしてくれたのに、もう会えない人もいることなど、寂しい事もいっぱいだ。しかし何故だろう、涙が出ないごめん笑

 そして、肩の荷が下りたからか、最近部屋にこもらずに毎日早寝早起きで家事もする。家族とも沢山話すし、母には目を見て話せるようになった、とも言われた。生活リズムが、崩れる以前よりも良くなっている。

 しっかり前を向けているのだと、そう信じたい。

 

 私は私の道を。新たな通学路を目指して進むしかないだろう。

 それが叶うときを信じて、ただがむしゃらに頑張っていく。