徒然夜

孤独にあるのにまかせて、夜にPCと向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみる

海とがれきと、チョコレート

 「わぁ、海だ...!!」

目の前に現れてきた海を見て、思わず声が出る。

 いわき市は元から太平洋に面しており海産物も県内では有名、といった印象を受けるが、海から離れ、山に囲まれた祖母の家がある町にいると、ついその事を忘れがちだ。

 今年の夏も既に静岡に行って海を見たが、やはり小名浜の、ここの海は、静岡等他の所とは別物だと、どこかで感じてしまっている。

 ここに来る度、私にはどうしても、思い出さずにはいられないことがある。

 あれは、およそ7年半前の、まだ海沿いの小名浜に肌寒さを感じた、そんな春が始まったばかりの頃の事だった...。

 

 2011年3月11日。東日本大震災が突如として起き、私の住む福島県津波等、甚大な被害を受けた。

 数日後、更に福島県原発事故の放射能による大気の汚染で風評被害にも見舞われる事になるのだが...。その話は、また今度...。

 震災から数日後。海沿いのいわき市の中でも山の方に住んでいる私達は、塀にひびが入ったり皿が割れたり棚が倒れたりの、多少の被害はあったものの、住む場所が奪われる、道が塞がれて集落が孤立する、といった大きな被害は受けずに済んだ。

 しかし、様子は見て知っておいた方がいい、と、父の知り合いが住んでいることもあり、私は家族と一緒に海に面した小名浜へと足を運んだ。

 小名浜に着くと、あまりの光景に私は言葉を失った。悲しくなった、涙が出た、というより本当に、私は言葉を失った。まさに、絶句。

 そこら一帯の家々は、ほぼ全壊。かろうじて全壊は免れたものの、それらもほとんど半壊と、元々の建物の原形を留めたものはぱっと見、本当にどこにも無かった。まさに、がれきの海。

 父の知り合いになった。その人達は、全員私が初めて会う人達で、確か3、4人だったが、全員おじいさんやおばあさんと、また何か会ったら逃げるのが困難な人達ばかりだった。彼等はがれきで溢れた自身の敷地内の一角にキャンプ用の、外で使う椅子と机を出して、談話していた。

 何故避難所に逃げずにそこにいるのか?あの日からずっとここにいるのか?夜は、寒さはどうしているのか?これからどうするつもりなのか?...?

 父は恐らく、そのような内容を彼等と話していたのだと思う。後になって私はその内容がとても気になったが、その時は話の内容が、全く頭に入ってこなかった。ただただ、呆然としていた。

 小名浜は、皆さんも知っているだろうか?大きな水族館のアクアマリンふくしまがある地域。震災後、その施設も甚大な被害を受けたという事でテレビで取り上げられていた記憶があるが、当時小4だった私は小学校の遠足で毎年のように そこに行っていたし、小名浜は割と馴染みのある土地だった。

 どこまでも青く澄んだ綺麗な海と、近くの市場で売ってある、市の名産品のメヒカリを中心とした海産物が印象的だった小名浜...。

 数日ですっかり、本当にだいぶ変わってしまった。私はその変わりようにただただ驚くのと同時に、改めて津波、そして地震の怖さを実感して寒気がした。

 

 帰り際。久しぶりに子供を見たから、と、彼等のうちの一人が姉弟を代表して姉に、いくつかチョコレートを持たせてくれた。父は何か言いたげだったが、その人が首を振って、それを制しているかのように見えた。

 車に乗り、彼等の姿が見えなくなったから父が静かに口を開いた。

「あのおじいさん達、手元にある食料がそのチョコレートと、クッキーだけだったんだぞ。それでもお前達がお腹を空かせたらいけないからと、お前達に大切な食料を分けてくれたんだ。大事に、感謝して食べるんだぞ」

父の声は静かで小さかったが、その言葉はとても重く、深く私の心に響いた。とても申し訳ないような気持ちと、食料が少量の菓子だけという、生活するには厳しい現実を受け止められない気持ち。様々な気持ちが込み上げてきた。

 私は、手の中のチョコレートを見つめる。小さく、食べ慣れたそれの重さを初めて感じた、そんながれきの中での出来事だった。