徒然夜

孤独にあるのにまかせて、夜にPCと向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみる

髪は、過去と紙一重

 何かを変えたい、一歩踏み出したい、一度過去を切り離して再スタートを切りたい・・・・・・そんなとき、今まで無意識に、まず見た目から変えてきたのが私だった。まるで一種の景気づけや、願掛けのように・・・・・・。

 きつすぎず、上品に漂う香水の香り、やけにムーディーさを演出するよく知らない洋楽、それらに不釣り合いな、床に落ちた見た目にも重苦しい大量の髪の毛。 

 行きつけの美容院。窓の外は、雨。

 

 ふと物心ついた時から、髪を切り、その後初めて会った時は、まず携帯で私の写真を撮って待ち受けにする・・・・・・という事が、祖父が決まって楽しみにしていた事だった。

 中2で私が長野に引っ越し、福島に残った祖父と頻繁に会えなくなっても、美容院に行った後、母が撮って送った私の写真を見て、それを待ち受けにするという習慣は、相変わらずだったそうだ。

 携帯さえいじれなくなる、それまでは・・・・・・。

 

 先月他界した祖父は、一年と少し前から肺癌を患っていた。余命三ヶ月と言われていたのに、よく頑張ってくれたなと改めて思う。

 大のおじいちゃんっ子の私は、長期休みの度に祖父に会いに行った。会いに行く度、容体が悪化しているのは目で見てとれた。

 そして一番最後に直接会った三月は、以前と比べ薬等でだいぶ髪が抜け落ち、話している声もどもって聞こえずらく、忘れてしまった記憶も増えたようだった。決して忘れたいと願っていた訳でもないだろうに。

 今思うと、そんな状況で直前まで、母に向かって

「夜雨ちゃん来てくれたんねえ」

と、私の名前を呼び、覚えてくれていたことに涙が出る。

 そんな祖父が亡くなった事は、おじいちゃんっ子だった私に想像以上のダメージを与えた。

 

 話すと長いから若干省略するが、精神的ショックで体調不良が続き、好きなことやそうじゃない勉強など私生活全てが見事に手につかなくなり、心の病気と言われ、学校に行くことさえほぼ不可能になった。一連の出来事で一番苦しいはずの祖母にまで心配され、不安にさせた。

 幼少期、年子の弟の世話や仕事で両親は手一杯、姉は幼稚園という中、面倒を見、育て、文字も教えてくれた祖父の存在はそれ程までに大きすぎた。

 以後の日々は苦しかった。なんせ勉強も手につかないから、テストも諦めろ、受けなくてもいいくらいだと先生に言われ、やる気はあるのにできない。そして保健室に通う日々が始まり、廊下でクラスメイトとすれ違った時の焦りや恐怖も尋常じゃなかった。

 もうすべてが怖くて、嫌になった。

 押し寄せる現実、でも私の時間は、あの日で止まったまま。

 

 変わりたかった。勉強のやる気があっても手につかないのと同様に、変わりたい気持ちがあっても変われないかもしれない。それは怖い。すごく怖い。そしたらもう、どうしようもない。

 でも、変わろうとしない事には、変われるわけがないから。だから・・・・・・。

 

 いつの間にか、ホットペッパービューティーで、行きつけの美容院の予約を入れていた。一種の景気づけのような、願掛けのような・・・・・・こんな時に、昔からの癖が行動に表れた。

 

 「すっきりしたね。ほら見て、この髪の毛」

担当してくれた美容師さんの言葉で、床を見る。

 わあ、すごい。本当にいっぱい切ったんだ・・・・・・。

 床に落ちたそれを見て、ふと、ベッドに落ちていた祖父の髪の毛を思い出す。

 そして自らの意思で、一度過去を切り離そうと思えるうちはまだ、忘れたくなくても記憶や思い出といった過去が抜け落ちてしまうまで、少しでも前を向きたい・・・・・・。

 変わりたい、という気持ちが高まる。

 

 「ありがとうございました」

美容師さんの声に見送られて、外に出る。

 これから私は、少しでも変われるだろうか?一歩踏み出せるだろうか?

 私は、空を見上げる。いつの間にか、降っていた雨が止み、一面晴れ空が広がっている。

 

 そうだ、帰ったら母に写真を撮ってもらって、祖母にそれを送ろう。久しぶりにメールして、話そう。そしたら少し、安心してくれるかな?

 

 今後の事なんてまだわからない。でも少しだけ、踏み出す一歩に繋がる何かを、私は得られた気がした。