Painter
三才までの切符を買うのなんて、合格発表後の物品購入で高専に行った中3の冬以来だった。あの日は雪が降っていて、とても寒かったのをよく覚えている。
そして一昨日。僕はあの雪の日以来初めて、三才までの切符を買った。それは定期が切れて初めて、再び高専に行くということに等しかったのだ…。
ゴンザレス伊藤、と友達が名付けた猫を探しながら歩く、歩き慣れた元通学路。メスかオスかは忘れたけれど、猫はいなかった。少し残念に思いながら、そういえば最後の方はあまり見なくなったのか、ということを思い出す。
いつもより人が多く、賑やかな高専。門を抜けると、早速色んな知り合いの顔が目に入る。天文部、合唱同好会、学生会、工嶺祭広報係。色々なことをやっていた自分には、知り合いがかなり多かったと思う。つまりそれはその分、自分が急にいなくなったことで迷惑をかけた人が多いということを意味する。
そしてそんな自分が、そういう人たちからどのように思われているのか…考えただけで、怖かった。ぞっとした。
そんな思いの中、知り合いたちの横を通り過ぎるのは、本当に怖かった。しかし私は、何に関しても強がっていたい性質だから、一緒に歩く母にも、そういうのを全く気にしない素振りを見せた。
着いてすぐ、担任との面談を終え、合唱の発表を見た。
面談が長くて発表に五分遅れてしまい、二曲目の途中から聞いた。面談長いよ、と少し不満げに思いながらも、私の将来を真剣に考えてくれ、色々調べてくれていた担任の優しさがとても嬉しかった。そして何だか、少し安心した。
合唱の発表では、自分がいたときとの完成度の違いや、演出の違いを見て、みんなの練習の成果がとても感じられた。
また、セカオワのプレゼントという曲は、自分が指揮を振る予定でもあった事や、自分のパートを他のパートの男子が補助してくれていた事を思い、申し訳なさで胸がいっぱいになった。
胸にこみあげてくるものが多すぎて、ずっと見ていると何だか涙が出そう。とてもじゃないけど、私は直視することができなかった。
発表後、久々にみんなと会った。先程感じていた申し訳なさを引きずってはいたけれど、それよりも会えた嬉しさの方が大きかった。
誰かが、
「まあでも一ヶ月しかたってないけどね」
と、言った。確かに、まだ部活をやめて一ヶ月しかたっていない。
しかし、予定がいっぱいの人の一ヶ月と、毎日予定がほとんどない人の一ヶ月。私には、この一ヶ月が今までで、一番長く感じられた。
“自由は孤独と半分ずつ”
セカオワのある曲の歌詞で、こういうフレーズが出てくる。その通りだった。何の肩書や枠にも囚われない、自由な身の上。生きやすくほっとするような生活での代償は、孤独。
友達に会うのも、一ヶ月に数回。ネットで話すのと実際に会って話すのは違うし、毎日家族としか話さない。好きな友達になかなか会えないのは、寂しいし孤独感に襲われる。
私にとっては、
「たかが一ヶ月が、こんなにも長かったよ」
と、泣きつきたいような気分だった。
まあだからこそ、会えたのは嬉しかった。
そのあとは天文部に行って、プラネタリウムを見てきた。
受付の所にいたのが、後輩とかではなくて、話しやすい子で良かった。あまり気まずくならずに、
「久しぶり」
と、言ったら、驚きながらも
「久しぶり」
と、優しく返してくれた。嬉しかった。
その時はちょうど上映中で、終わったら中から二年間クラスが同じだった友達と、仲良くしてくれた先輩が出てきた。嬉しかった。会いたいような人に、ちゃんと会えて。
天文も一応副部長だったし、やめる時は申し訳なさでいっぱいだったが、LINEで友達が
「寂しいけどみんなで頑張るから気にしないでね。是非、後悔のない選択をしてね!」
と言ってくれていたので、申し訳なかったけど、本当に嬉しくて、その言葉に支えられていた。
プラネタリウムは、目指していたエアドームで、綺麗な半球型。投影する星空も、プロセッシングで作ったみたいで、去年より明らかに完成度が上がっていた。流れ星も流れるようになっていて、それを見られて嬉しかった。
プラネタリウムも、小さい頃は退屈であまり興味が無かったが、流れで天文部に入って自分達で作るうちに、大好きになった。これも何かの縁だったのかな、と今では思う。一年生から、一番長く続けた部活が、この部活だから。
高専にいたのは、たった三時間ほど。その間に、色々な仲良くしてくれた人たちに会うことが出来て、嬉しかった。
工嶺祭には、面談が予定されていたから来ることになったが、誰にも会わずに帰りたいとも思ったことが幾度となくあった。
工嶺祭が終わると、もう本当にみんなに会う機会が無くなってしまう。
昨日呼んでもらった合唱の打ち上げに参加している間も、私は楽しみながらも、心の底では震えていた。みんなと過ごせるこの楽しい時間も、明日からはまた一人の、孤独な時間へと戻ってしまう。ずっとこの時間が続けばいいのに、とさえ感じた。時間が流れるのが、怖かった。
しかし、来て良かったな、と私は一人に戻った今、感じている。
担任にせよ、部活の人達にせよ、友達にせよ…自分を応援してくれている人たちがたくさんいた。
自分は、躓いたらすぐに体調も気持ちも崩れてしまう人間で、最近も、頑張り続けることが出来ていた勉強で、得意教科の勉強の仕方が分からなくて躓いて、頑張ることができなくなってしまていた。
しかし、工嶺祭に来て、みんなと会ったことで、まだまだ頑張らないと、と心から思うことが出来た。
応援してくれている人がいる限り、自分はいくら躓いたってまた立ち上がれる。そんな気がする。そう思えたのは、みんなに会えたから。
それでも寂しいと思うのは、本当にいい友達や人に出会えて、私がその人たちに依存してしまっている部分があるからだと思う。それは寂しさを強めるが、それと同時に、そんな人たちにたくさん出会えた自分を幸せに感じる気持ちも強まる。
普通に話すけど特別仲がいいわけではない、という後輩が、工嶺祭後に、
「また来年も来てくださいね」
と、わざわざLINEしてくれた。素直に、本当に嬉しかった。そして一人では工嶺祭は回りづらいが、来年は自分が案内してくれるとも言ってくれた。それは本当に嬉しいし、安心する。今年一緒に回ってくれた先輩も、ありがとう。
だから、来年も行こうと思う。それまで何度躓いても、何回でも立ち上がって頑張り続けたい。
そして来年の工嶺祭も、笑顔でみんなに会いたい。
いい人たちに恵まれて幸せだと、改めてそう感じられた、忘れられない一日が、私の心に描かれた。そんな三年目の、工嶺祭。
スター
1985年10月13日。33年前の今日、その日に、僕にとってのスターがこの世に生を預かった。
SEKAI NO OWARIのボーカルの深瀬君、33歳のお誕生日おめでとうございます…!
5年前。中1の美術の授業では、毎回必ず初めにクロッキーという、友達のとったポーズのデッサンなどを行っていた。時間は約5分。その為、その時間には毎回先生が好きな曲が流れていた。
そんなある日だった。偶然選曲され、流れた一曲に私は今まで感じた事のないような感動を覚え、クロッキーなんか全く進まず、完全にその曲に心を奪われた。透き通るように美しく、でもどこか切ない歌声に、繊細なピアノの響き、そしてファンタジーな世界観の中に深い奥行きを持ったメロディーと歌詞…私はまさに、その曲に陶酔していた。
もっとあの人の歌声を、あのグループの曲を聴きたい…!
そう強く思った私は、授業終了後。先生の所に急いだ。
「すいません、さっきの曲って誰の、何て言う曲ですか?」
美術の授業に全く関係のない質問に、優しい先生は嫌な顔一つせず、快く答えてくれた。
「SEKAI NO OWARIっていうバンドの、眠り姫よ」
今までネットで探してまで聴くほど好きな歌手がいなかった僕は、その日からセカオワの曲を貪るように聴き、クラスにセカオワ好きの友達が数人いた事も影響し、すっかりセカオワの虜となってしまった。
これが、僕とセカオワとの出会いだった。
セカオワの中でも特に好きになったのが、ボーカルの深瀬君。
もちろんかわいらしいルックスも本当に大好きだが、それ以上に彼の書く詞が、とても心に響いた。
ある時は戦争に対する意味について、またある時は死への恐怖や考え方について、またある時は、虫たちの命について…。
色々な詞の中で謳われている、彼の弱者など、様々なものに対する優しさや思いやり、そして命や平和に対する深い思いに、強く心を惹かれた。
そして今まで見てきた当たり前の光景にまで、深く事を読み、考える精神とその考え方にも、深い感銘を受けた。
彼は私の中に新たな風を吹かせ、私の中に新たな世界をも作ってしまったかのように感じられた。
その事は決して苦痛でなく、むしろとてもありがたく、嬉しい事だった。
そんな彼を、私は今までずっと追いかけてばかりいた。大好きで憧れではあるけれど、私とはかけ離れた、決して交わる事のない存在。そう思っていた。
しかし、出会って5年。僕には、それを変える出来事が起きたのであった。
何度かブログでは扱っている内容だが、僕は最近を高専中退した。それに至る経緯や理由はいくつかあるが、その中の一つに、体調を崩したことが挙げられる。
その当時僕は、本当に心から大切な人を亡くした直後でショックから生活や勉強、全てが手につかなくなり、その結果テストも最悪で授業に出る事さえ、学校へ行くことさえ億劫になった。しかしそうなると今後が危ういという不安は増えるばかり。
僕は様々な事に対するショックや不安に押しつぶされ、軽い精神的な病気になったと言ってもいいような、それに等しいような状態となった。
やりたいことは全てうまくいかず、自分の状態を人に理解してもらう事さえ難しく、僕はただ、出来るだけ部屋にこもって、毎日寝てばかりの生活を送っていた。
そんな時には、何も分からない人からの同情や励ましの言葉は余計にきついものがあった。
しかしそんな時に僕を助けてくれ、少しでも落ち着かせてくれたのは、セカオワの曲だった。
銀河街の悪夢(歌詞→http://j-lyric.net/artist/a055790/l02fc09.html)や、白昼の夢(歌詞→http://j-lyric.net/artist/a053b33/l0205e8.html)は、特に共感をし、何度も何度も聴いた。
実は深瀬君は生まれつき精神症状を患っていて、僕なんかよりもずっと重い病気で悩まされてきた。そして今も、それと闘っている。
この2つの曲は、特に病気が重くて苦しんでいた時期に、深瀬君が書いたとされる詞の曲だった。
いずれの曲も、詞のほとんどが病気と闘う様子や心境、苦しみについての内容だが、最後少しだけ希望を持とう、といった内容になっている。
そういうどっちかというとマイナスな曲は余計聴いていて苦しくなるのではないか?と、思う人もいるかもしれない。
しかし実際は、歌詞に強く共感し、僕は、自分のことを分かってくれる人がいる…!と、強い心の支えとして捉えることができた。
そして、結果的に高専中退。結論は出したものの、不安だらけ。しかし深瀬君も偶然、同じように高校を中退している。その時僕は、ずっと追いかけてばかりいた、大好きで憧れという存在の深瀬君と、どこか交わり、繋がったようにさえ感じてしまった。
そして、つらい事や不安なこともあるけれど、僕も大好きな深瀬君のように、どん底から努力して這い上がり、いつか誰かにとって輝かしい存在になりたいと思えた。
大げさかもしれないが、僕は深瀬君に支えられて、より一層彼を好きになった。彼は、僕にとってのスターだ。
体調を崩して、高専を中退し、僕の中で確実に何かが終わってしまった。しかしそこからいかに気持ちを切り替えて頑張れるかが、見せ場だと思う。
「終わりから始めてみよう」
僕の大好きなバンドの名前の由来であるその言葉に自分を重ねて、僕はリスタートに向けて日々頑張りたい。つらいときは彼ら音楽を聞いて、励まされながら…。
「Ah まだ見ぬ宝も僕ら二人で探しに行ったね
星が降る夜に船を出してさ
Ah このまま君がいなくなったらどうしよう
そんなこと思いながら君の寝顔を見ていたんだ」
出会いの曲を聴きながら、この曲を作詞作曲した、僕の大好きなスターに思いをはせる。
いつか星が降る夜に、僕も遭遇してみたいものでだ…なんてね笑
CAN’T SLEEP FANTASY NIGHT
僕にとって聖なる夜の今日は、きっと眠ることさえできない、素敵な夜になる事だろう。
出会いに、誕生に、乾杯……!
自分だけの、透明
思えばいつでも、何をするにも、私は目的ばかりを考えてきた。
何かに向かって頑張る事や、努力を積むことは好きだし得意な方だと思う。そうでもしないと、誰よりも不器用なくせに誰よりも負けず嫌いという自分の性質を満たせないから。
しかし、目標や目的がないと何のために自分のどんな欲を満たすのか、何のために努力を積めばよいのか、本当に分からない。きっと世の中にはそういう疑問を抱きながらも、その先に見える何かに期待をして努力を積める人間が溢れているのだろう。そういう風にできる人は実に器用で、羨ましい。素直に憧れる。しかし残念ながら、自分はどうしてもそういう人間にはなれない。そうなる為に、無理をすることさえ私の中の本心が拒む。
だから気づけば、私は何をするにも目的ばかり考え、その度に小さいながら目標を度々設定して努力を積んできた。
高専生活2年半。楽しくなかったというわけではない。しかしどうしても、私は目的を見つけることができなかった。
何のために専門的なことを学んでいるのか。何になりたいのか・・・・・・時間を費やせば見えてくると思っていた。しかし時間を費やせば費やす程、それは私から遠ざかり、ついには見えなくなった。
はっきりではなくとも、透けては見えていたかもしれないそれが、完全に不透明になった。それをまず、体で感じた。その後しだいに、その状態が頭で分かるようになった。
高専で勉強したい目的が、気づいたらもう、自分には考える事さえできなくなっていた。
何のために学校に通うのか。それさえ分からなくなった。
だから、やめてやった・・・・・・笑
長い時間、両親も交えて真剣に考えた結果なのに、やけに軽い言い方だ。しかしあながち間違ってはいないと思う。端的な言葉で片づけてしまえば、そういう事なのだから。
学校に行かなくなって、後期の授業が始まって、1週間が経った。
ご近所さんからは平日なのに1日家にいる私を、まあ悪意はないのだろうが変な目で見られるし、土日と平日の区別もなくなって変な気持ちだし、弟は平日ちゃんと学校に行って夕方に返ってくるし・・・・・・そんなこんなで、孤独感や虚無感はまだまだ尽きない。
しかし本当に私は選んだ今に後悔していないし、むしろ大満足である。
何だか、素直に楽しい。
目的が分からずそれに悩みながら学校に通っていたここ2年半より、明らかに楽しいし気持ち的に今の方が断然充実している。
新しい目的や目標を何となくだけれど見つけられて、それに向かって好きなだけ努力を積める時間がある。今まで時間が無くてできなかった親の農作業の手伝いも、元から自然が好きだからとても楽しいし、料理や洗濯をしてそういう家事の腕を磨けるのも嬉しい。
無理をしてやることが何もない。全て自分のやりたいことを、やりたいだけできる。そしてその、やった好きなことが、勉強にせよ家事にせよ何かしらの面で自分の力の向上に繋がっていることを、日々実感できる。
それは、何て楽しいのだろう。嬉しい。気持ちがいい。
そして、今まで学校に通っていた時間に勉強以外でもやることが増えると、楽しい事や興味をひかれることが少しは出てくる。
中学の頃、周りから急かされるようにして決めてしまった進路。
今はあの頃と違う。あの頃行き急ぐように慌ただしく、中身のなかった時間。そんな時間を私は今、数年たってもう後悔の無いように過ごし直す。
そう考える事にした。高卒認定がまだとれていないから今年センターが受かっても大学に入れないことと、それ故みんなより1年遅れる事は確定している。でもその1年を、どう過ごすか・・・・・・私は、決して無駄にはしたくない。
自分を見つめ直して、将来を考える1年と捉えて、少しずつ多方面において成長できるような、そんな時間の使い方をしたい。
周りから見たら高専中退、中卒扱いでおまけに1年浪人みたいな私はみっともないかもしれない。
しかしどんなに遅れたとしても、私は絶対に止まりたくはない。
だからこの1年を自分にとって有効な1年にして遅れたり止まったりせず、むしろ成長した、進んだ1年にしたい。
何かそう考えると、溢れてくるやる気がすごい。
当初不安だった今の生活だけど、やってみたら、とりあえず毎日楽しい。それだけで、十分な救いだと思う。
何だかやっと不透明だった存在が透けてきて、だんだんと視界が開けてきた。そんな感じがする。
今まで周りや世間や一般論、そんな当たり前だけど堅苦しいものに囚われすぎて、自分の意を汲み取れずに生きてきた、そんな気がする。
しかしもう、一度こうして周りや世間からずれたのなら、もういっそこのままずれて、どんどんずれていいや。
それでもいいから私は自分の好きなように、意のままに、他の人には真似できないくらい自分らしく生きていきたい。
そう思う事が出来た、ある透明な自分がいる。
独り
やることも対してないし、45日もあるなんて長すぎるしつまらない。
夏休みが始まる前、休み中の予定が開始2週間以内に終わる2つの部活の合宿くらいしかなかった私。今思い返すと、これからの日々にこの上ない怠惰を感じていた自分が、何だか懐かしい。
しかしいざ始まってみると、合宿中に目を怪我して眼科行きになるわ、軽い精神的な症状は出るわ、今後を変える大きな決断はするわ・・・・・・ということで、想像とはかけ離れた、あまりに濃すぎる休みとなった。
そして、後期初登校日の今日。・・・・・・いつも通り、僕は7時に目を覚ます。そしてのんびりと朝の支度をして、始業時間の8:50。僕はポストから取ってきた新聞を、居間で一人広げている。
ひっそりと静かに、でも確かに流れていく時間・・・・・・。僕の夏休みは、未だその終わりを告げない。
去年まではどんなに長い夏休みだとしても、それが終わる頃には、もっと休みが欲しかった、もっと遊びたかった、まだどこかへ行きたかったのに・・・・・・などと、まさざまな欲を抱いてその終わりを悲しんだものだ。
今年だっていつも通りなら、まだピラルクさんに会えていなかったのに、水族館行きたかった・・・・・・などと言って終わりを悲しんでいるはずだ。
しかし今は、終わりを悲しみなんかしない。それを悲しむこともできない。僕に、夏休みの終わりはしばらく来ないのだから。秋になり、冬が来て、春を迎え、そして再び夏が来ても、僕の休みは終わらない。季節が変わったとて、それは今の、この夏休みの延長に過ぎない。
終わらないのではなく、終われない。
確かに毎日やることがあって、いつまでにこれをやるという目標があって・・・・・・そういう状態を休みとは言わないかも知れない。
しかし、僕は何か用事がない限り、毎日家にいて、毎日出ていかないといけないところがない。ニート状態。
みんながそうなら、何ともない。みんなニート。へえ、そうなんだ、ただそれだけ。
しかしみんなは毎日学校に行っている。そんななか僕だけが、毎日家。どこか行っていいような、属していいような場所があるわけではない。無所属。
連休が終わり、両親は仕事、姉はバイト、弟は学校で家を出て、僕だけが家。僕は家に、ただ一人。独りぼっち。
少しの間忘れていた現実が、再び戻って来る。そして本来なら今日から僕も学校だったという事実が、独りをより鮮明に映し出す。
確かにこれは、自分の選択。自分で決めた道。悔いも無ければ後ろめたさもなく、むしろ新たな心持で頑張ろうという前向きださってある。
しかし、どんなに前を向いても確実に心に残ってしまうのは、独りというこの感じ。
ぼっちという言葉とは少し違って、寂しいという言葉だけじゃ何か足りない、この感じ。
みんなに、現実に、本来なら歩めたはずの道から取り残されたような、孤独感というか疎外感というか・・・・・・。
人に会いたい。友達に会いたい。
まだ会えなくなって1週間もたっていないのに、心が持たないというか、何だか胸が苦しい。
傍にいて欲しい。お願いだから、何も邪魔しないよ、ちゃんと大人しくもしているから誰か傍にいて欲しい。お願いだから・・・・・・。
会いに行こうともえば会いに行けるじゃないか。
だが、現実的な話。定期が切れたらあまり頻繁には会えなくなる。
そういう感じで、初めはいっぱい会えても、少しするともう本当にあまり会えなくなるから。いつかそうなるのは何か、分かっているから。だからそうなった時の事を考えると、その時の寂しさが強くならないように、今はあまり会いに行くべきではないように思う。あとでつらくなるのは自分だから。
だが、会いたい。
だからもう、どうしようもないことなんだと改めて思う。
繰り返すけれど、僕は自分の選択に悔いも無ければ後ろめたさもない。
ただ、独りというなんとなくのイメージにしだいに実感と感覚がついてきて、叫びたいような、泣きたいような・・・・・・胸が苦しい。
あと、少なくとも1年以上は夏休みが続くようなものの訳で・・・・・・。
休みは、周りが何かしらに属す中、無所属の僕だけに来る休みは・・・・・・そんな中でも確かに過ぎる時間の流れと、独りをより色濃く映し出す。
休みよ、僕の夏休みよ・・・・・・お願いだから、もういい加減に終わってくれ・・・・・・。
終止符とリスタート
5年間も通ったら、そのあとこの道を通らなくなった時、絶対寂しいよね。
雨の日も風の日も、遅刻した日も・・・・・・。必ず通る、駅から高専までの通学路。毎日特に変わり映えのしないその道を歩きながら、私はふと、そう思ったことがある。
通い慣れ、通い続けた道を通らなくなったその時は、きっと何とも言えない寂しさがこみあげてくるのであろう・・・・・・。
しかし予想外な事に、私はそのわずか半分の2年半でその道を通るというルーティンに終止符を打った。
それは同時に、私の高専生活というルーティンにも、終止符を打ったのだった。
退学。
事務的な連絡などをする際に説明が面倒なので、手っ取り早いその二文字を使ってしまうが、実際は少し違う。
まあ聞こえがあまりよろしくないが、言ってしまえば自主休学。
休学や退学と違うのは、学校に一応籍がまだ残っているということ。まあ名称がどうであれ、もう学校に行って授業を受ける事はあまいというか、無いであろうということに変わりはない。諸事情があって、そういう名称の処置をとったわけだが。
がむしゃらに勉強して、理系教科が苦手だったにもかかわらず、高専に入って2年半。
2年生の時に、母が私が中三だった当時進路指導をしていた先生に偶然会った時、
「夜雨最近どうですか、勉強は?いやー、点数足りていたからやめろと言わなかったのですが、あいつ理系向いてないじゃないですか」
と言われたと笑いながら話した。
確かに、理系教科は苦手だ。数学的思考、みたいなのが皆無。中三の時志望校を高専といった時は、家族にはじめ大反対されていた。お前は向いていない、と。
そんなの自分が一番わかっていた。しかし、その時の自分はまだ詳しい事が何もわからなくて、同じ学年の子はほぼみんな将来の夢や進路が決まっているという状況と、夢も進路も何も分からない自分、そしてそんな中進路決定を迫れれているということに、何だかとても焦りを感じていた。
自分は昔から何かに興味を持つということがとても苦手だった。やれと言われた事しか、できないというか。だから、必然的にやることが見つかるような環境にいれば将来のやることもある程度決まるのではないか、そう思って受けたのが高専だった。
試験の点も、結構いい成績で受かったから、まあそのまま高専に入った。
しかし、入って3年目に差し掛かり、専門科目が増えても、何かに対しての興味があまり持てなかった。周りには何かに興味がある人が溢れているわけだから、自分もそういう所に行けば何かに影響されて興味を持つと思っていたのに。一向に染まれない。
おかしいな、と思い始めた。
そしてそれは興味が持てないというレベルではなく、モテなさすぎるというレベル。しかし何とか、とりあえず卒業はしようと頑張ってはいた。
しかしそんな中、期末テスト2週間前を切ったあたりというタイミングで、大切だった祖父が亡くなった。
悲しいのに、棺に入り、焼かれ、骨になった祖父を見ても涙があまり出なかった。泣くことさえできないというか。
それから、私はおかしくなって、自分が壊れていくのが分かった。
いつもならなにがあっても勉強をやる時期に、全く身が入らない。それだけでなく生活にも身が入らなくて、本当に毎日朝がきて夜になるっていうだけのような日々。
そんな私は保健室で、精神的に来ているからテストどころではないと言われ、その後のテストは、まあ最悪。
つらくてテスト自体うけなかった教科があり、夏休み中に追試と言われ、今度こそは頑張ろうと思った。
しかし勉強だけでなくやはり生活にも身が入らず、毎日ほとんどの時間を寝て過ごすことになってしまった。寝たいわけではないのに、起きられない。
そしてテストに行くことさえ億劫で行けず、後ろめたさからか家族になるべく会いたくなく、トイレとお風呂以外部屋にこもって、食事も食べないか、部屋で食べ、家族と挨拶以外一言も話さず目も合わさず終わる毎日が続いた。
つまり、悪化。精神的な病気、と言われていたがそれに加え、一時期皮膚むしり症や咬爪症という体も傷つける症状も出た。
それが続いていたある日。以前私を気にかけてくれた保健室の先生が心配して家に電話をくれ、親にバレた。
そして久々に話す親に最初に言われたのが、
「高専やめる?」
だった。素直に、驚いた。私は確かにやめたいな、と最近思っていた。興味がなかなか持てない自分、精神的なダメージで一度遅れをとったことに対する焦り、それによる更なるダメージ。追い詰められていた。
しかし、親がそういうのに肯定的だとは思わなかった。否定されると思っていたのに。
しかし更に驚いたのは、父は私が部屋に引きこもる以前にもうそうなったときの準備を初めて資料もいろいろ取り寄せていた事。
そして親にそう言われた直後、私は学校をやめるというか、もうそんな行かずに進路変更する決意をし、もう準備を終わらせた。
親に迷惑をかけたな、と思っている中、母がかけてくれた
「母さんは夜雨ちゃんが元気なのが一番だから」
という言葉にすごく救われた。
普通、娘がそんな事言い出したら反対するのだと思う。しかし私に寄り添い、今後の事も一緒に考えて、毎日いろいろなことを一緒に調べ、教え、相談に乗ってくれる親には本当にただただ感謝するばかり。ありがたい。
長いようで短かった高専生活。
それに終止符を打つ理由やいきさつは、まあこんなもんであろう。
今後の事ははっきり言ってめちゃめちゃ不安だ。また何かが起きて何にも手が付けられなくなったら・・・・・・と考えると、怖くて仕方がない。
しかしこんな出来損ないというか、迷惑かけてばかりの私を見捨てずに寄り添ってくれている親の為にも、再スタートを切って頑張りたいところである。
仲良くしてくれたのに、もう会えない人もいることなど、寂しい事もいっぱいだ。しかし何故だろう、涙が出ないごめん笑
そして、肩の荷が下りたからか、最近部屋にこもらずに毎日早寝早起きで家事もする。家族とも沢山話すし、母には目を見て話せるようになった、とも言われた。生活リズムが、崩れる以前よりも良くなっている。
しっかり前を向けているのだと、そう信じたい。
私は私の道を。新たな通学路を目指して進むしかないだろう。
それが叶うときを信じて、ただがむしゃらに頑張っていく。
前を向けないなら、上を向けばいい
高専に入ったばかりの、毎日がわくわくや新たな発見の連続で、不安や心配の中にも、それよりも強い、確かな楽しさや好奇心を抱いていた一年生の四月。
新入生歓迎会の後日。私は、知り合ったクラスの子三人とともにある部活の見学へと、足を運んだ。
その部活には、別に興味があったわけでは無かった。むしろ、みんな真面目で怖そうだし、そういう系のオタクっぽくて怖いし、静かで雰囲気ヤバそうという勝手な偏見があり、入る気なんて無く、運動部の次に入らないだろう、という自分の中の候補にさえ上がっていた。
しかし、入学してすぐ仲良くなった友達が好きだったので、遊び半分でとことこと見学について行ったのだった。
その部活の活動場所に行くと、すでにもう何人かの先輩がいた。失礼ながら、黒縁眼鏡率が高すぎるというか、ほぼ全員黒縁眼鏡をしていて、真面目そうな怖そうな雰囲気を感じた。
しかし口を開くと、みんなとてもフレンドリーで高専の事や勉強の事を、いっぱい話してくれて、なんだか想像とは全然違った、居心地の良さを感じた。
その後、ぞくぞくと後から来た先輩たちが増えたが、ある一人の先輩が、入るのならLINE交換しない?みたいな雰囲気を出し始めた。そして、違う先輩が見学に来た他の友達と、1人ずつLINEを交換し始めた。
え、私まだ入るとは言っていないんだけど・・・・・・。
私は内心どうしよう?と、とてもあたふたしていたが、自分は人見知りで、急に知らない先輩にそういう事言えるタイプではないし、だからといって先輩達は誰も察してくれそうにないし・・・・・・。そして何より、LINE交換しない?みたいな雰囲気を出し始めた先輩が、見学に来てすぐ他の男子の友達に、
「おまえの性癖は?」
みたいなことをさらっと聞いていて、何か第一印象怖いなって思ったから、とてもじゃないけど言い出せなかった。
そして、私の番が来て、流れに飲み込まれたまま先輩とのLINE交換が完了。
その直後には、気が付いたらもう新入生歓迎会の話が始まっていた。
信じられるだろうか?結構ひどい偏見があって入らないであろう候補にまで上がっていた部活に、私は”流れと雰囲気に飲まれて”という最も単純でしょうもない理由で入部することになったのだ。
そして自分が一番驚いているのだが・・・・・・入部して二年半。私はその部活を、今でも続けているのだ。
そう、これは某天文部に入部したときの小さなエピソードである。
入部してからはまず新入生歓迎会があり、みんなでレクリエーションをしたり、お菓子を食べたりと楽しい時間を過ごした。そして観望会で、屋上に行って初めて(?)望遠鏡で月などを見た。それはすごくはっきり見えて、きれいで感動したのを覚えている。
そして夏休みには、乗鞍高原に行って初めての合宿。夜に山の上でシートを広げ、寝袋にくるまって寝転び、星を見上げる。その年は結構晴れて、ペルセウス座流星群をいくつも見る事が出来た。寝転んで星を見た事、こんなにたくさんもの流星を近くで結構はっきり見た事、みんなでお菓子を食べた事(笑)・・・・・・全てが生まれて初めての経験で、それはとても楽しく、わくわくして、感動もした。そして生まれて初めて高山病にもなった笑
工嶺祭では、プラネタリウムの上映をした。プラネタリウムはとてもきれいで、本当に感動した。そして、工嶺祭前に調べて作った、火星についてもポスターも掲示した。全然内容薄かったけれど、先生が女子には甘いから許してもらえてよかったな、何て思っていたら、隣に飾られた男子の作ったポスターが、私達女子が作ったポスターとは比べ物にならないくらい文字がぎっしりでびっくりした思い出がある笑
二年生になって。同学年で三人はいた部活の女子が、みんな運動部と兼部していてそちらが忙しくなったため、ほぼ来られなくなった。一年生はすごくいっぱい入ってくれたが、みんな男子で、部活で女子が一人になった。初めは何だか、とても不安だった。
しかしそれでもやめようとか、そういうのが頭に浮かびさえしなかったのは、本当に周りのおかげだと思う。
もともと人見知りが激しくて一年生の頃はほぼ先輩と話せなかった私。しかし二年になって、少し慣れてきたらどんどん話せるようになって、普通に笑う事も出来るようになった。
すると、今まで話さなかった先輩とも話せるようになり、色々な人が話してくれるようになり、前よりさらに居心地が良かった。
今まで目さえ見られなくて失礼な態度ばかり取ってしまったのに、それでも話してくれ、優しくしてくれた友達や先輩には、本当に今でも言葉では言い表せないくらいの感謝の気持ちでいっぱいだ。
そして、そういう事もあり、その年初めの行事である、新入生歓迎会を兼ねた菅平での合宿は、不安だった気持ちが全くと言っていい程に吹き飛び、むしろとても楽しい合宿となった。
秋には、黒部の方に行ってプラネタリウムを見に、小さな旅行みたいなのに行った。間近で見た大きなプラネタリウムの装置や、映像がとても面白かったし、近くにあった海に行けたこともとても楽しかったのを覚えている。
工嶺祭では、去年より更にグレードアップした、プラネタリウムがとてもきれいでハイテクで、とても興奮したし感動した。それを作った先輩の技術には、本当に感動したしとても尊敬した。
三年になってからは、まだ半年。しかし、春合宿、先生の講演会、夏合宿など、すでに色々なことを経験した。どれも、本当に楽しくて素敵な思い出。
これからまだ、色々なことを経験したい。
本当に、天文についての知識は皆無、星の位置と名前も笑ってごまかしてしまうという程度の、知識の浅い自分がここまで部活動に楽しさを感じ、星について興味を持って活動できたことは、他ではできない、ここの部活だからこそ出来た事だと思う。いつも優しく、面白く、楽しくて居心地の良い大切仲間がいたからこその事。そう、強く信じている。
これから、私は忙しくなって時間の余裕が無くなったり、または大きくなって都会に行って夜でも人工灯の主張が激しい環境に行くかもしれない。
しかし、どんな時でも、忘れたくない。もし忘れてしまっても、思い出したい。自分が生きる地球の空がこんなにもきれいで、星を見る事が、こんなにも素敵で楽しいということを。
”長野県は宇宙県”
先生は確か、こういうことをよく言っていた。本当に、長野から見える星空は素敵だ。しかし一人で見たのなら、つまらない。何だか寂しい。大人になってもいつかまた、あの日一緒に星を見た仲間とともに、時間も忘れて、のんびりと星を見たい。
そしてもし今後何かにつまずいたりつらいことがって前を向けなくなっても、忘れたくない。
それでも、空を見上げるということを。
そんなことを、夜空を見てなぜかふと思った。
生きるのは、きっといつまでも...
「夜雨ちゃん、よう来てくれはったわぁ~」
改札を通ると、多く点在する帰り時の高校生達に紛れて、祖母が大きく手を振る。くしゃっとした弾けるような、かわいらしい笑顔。わざわざ改札前まで迎えに来てくれるあたり。懐かしい。
駅前のラトブ。日が暮れると一気に夜の街に変わる、焼肉屋や居酒屋が軒を連ねる平の大きな通り。
生まれ育った地、といっても、そこは新幹線の止まる大きめの駅があるというだけ。実際に中2まで過ごしたのは、山に囲まれた自然豊かな町。要するに、田舎。
「お邪魔します」
祖母の家に入るとまず目についたのは、一番手前の和室の開いている襖から見える、祖父の仏壇。
「お供え物いっぱいやろ?」
祖母の声に仏前を見る。確かに。果物などでいっぱいだ。
「毎日何でもお供えすんねん」
「何でも?」
「せや、昨日は野菜炒め、一昨日は餃子を供えたってん」
「餃子!?笑」
驚く私を尻目に、
「そんなん、おじいちゃん毎回単品やなぁって文句言ってはるで笑」
祖母の家、つまり実家に戻るとすぐに関西弁の口調に戻る母がすかさず突っ込む。
「ほんなら、明日からはご飯粒とお味噌汁もお供えせなあかんわ笑」
空気に飲まれて関西弁の口調になった私の言葉に、みんなで笑う。
「みんなで前で笑うてもろうて、みょうちゃん、あんた幸せもんやなぁ」
祖母の声に
「みょうちゃん...?」
母が首をかしげる。確かに。聞きなれない名前だ。 するとそんな私達に、
「せや。おじいちゃんのことやで。戒名が明智(みょうち)なんちゃらかんちゃらやからな、みょうちゃんって呼んでんねん。ニックネームや。かわええやろ?」
祖母がしれっと答える。
「フルネーム覚えとらんのかい!そんなんあんた、バチ当たるで笑」
「おじいちゃんやれやれ思うとるわ笑」
母と二人で笑いながら突っ込む。祖母の天然ぶりは半端ない。
その日は、夜の1時まで、たくさん祖母の話を聞いた。祖父の自慢話、惚気、馴れ初め、昔の話...。口を開けば、祖父の話。全然違う話をしていても、結局全て、祖父と結び付く。それはきっと意識的なものではなくて、なんかこう、必然的にっていう感じで。みょうちゃん、という新たなあだ名の元となった戒名ができるまでの話も聞いた。不思議な気分だった。
そんな話をいっぱいした後、新幹線に3時間半揺られて福島まで来て、夜の1時まで起きていた私は、よほど疲れていたのか、布団に入ると何か考え事等をする余裕もなく、すっと眠りにつく。
ふと我に返ると、姉、弟もいて、何故か家族みんな揃っている。そしてそこには、背筋がシャキッと伸びて元気そうな、祖父の姿も。
「あれ、どうして、おじいちゃん生きているの?」
声に出した感覚はないが、確かに、私は祖父に聞いている。祖父はここにいるはずがない。いたとしても、闘病していたのに、こんな元気な姿の訳がない。
すると祖父は、優しい声で私に言い聞かせるように言う。
「じいちゃんはな、もう生きてないで。でもな、あんたが思うてくれはる限り、じいちゃんは何年でもあんたの心の中で生きていけんねん」
そして優しく頭を撫でてくれる。それが何だか、妙に切なくて。
私は祖父の手を触る。温度、質感、その他...感覚が何もない。
祖父がまだ何か言いたげな目で見つめてくる。いや、口は動かしていないけれど絶対に何かを言っている気がする。根拠は何もないけど、強くそう感じる。
待って、何言ってるの?ごめん聞こえない。ねえ、何?
私は焦る。鼓動が早くなるような、そんな感覚を覚える。
私を見つめる祖父がしだいにぼやけて見える。祖父は寂しそうな目をしながらも、口元だけでもと、笑って見せる。
待って、おじいちゃん、ねぇ...!!
気がつくと、私は横になっている。暖かくて柔らかい、布団の感触。
夢...か...。
きっと昨夜祖父の話をたくさんしたから、夢の中に祖父が出てきてくれたのだろう。
ごめんね、いちいち来てもらって。おじいちゃん忙しいな笑
何だか少し、笑えてくる。
それにしても、夢にしては何だか妙に鮮明だった。夢だと普通あまりはっきりと分からないような、言葉が、はっきりと分かった。そして感覚が本当に、妙にリアル。まるで実際に会話していたかのよう。
心の中で、祖父の言葉が再生される。
「あんたが思うてくれはる限り、じいちゃんは何年でもあんたの心の中で生きていけんねん」
ちゃっかりかっこいいこと言い残していったなぁ。その言葉の深さが、心に響く、
大丈夫、私は絶対に思い続けるから...。
すると少しして、居間から祖母の声が響いてくる。
「夜雨~、あんたそろそろ起きたかぁ~?起きたらな、まずみょうちゃんに挨拶したって。ばあちゃんはもうしたで」
祖母の声に、思わず口元が緩む。
おじいちゃん...いや、みょうちゃん。みょうちゃんは幸せもんやなぁ。おばあちゃんの中でも、死ぬまで長生きし放題やなぁ。
すると再び、祖母の声。
「それで今朝これからな、おこわとあさりのお味噌汁と漬け物お供えすんねんよ~」
思わずクスッと笑い声が漏れる。
みょうちゃん、良かったなぁ。今日は単品じゃないらしいで。
「はーい!」
と返事をしながら、祖父の元へと向かう。写真の中のその笑顔は今にも、
「いつまで続きはるかな?きっと夜にはもう単品に戻っとるで」
そう笑っているかのようだった。