徒然夜

孤独にあるのにまかせて、夜にPCと向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみる

生きるのは、きっといつまでも...

 「夜雨ちゃん、よう来てくれはったわぁ~」

改札を通ると、多く点在する帰り時の高校生達に紛れて、祖母が大きく手を振る。くしゃっとした弾けるような、かわいらしい笑顔。わざわざ改札前まで迎えに来てくれるあたり。懐かしい。

 駅前のラトブ。日が暮れると一気に夜の街に変わる、焼肉屋や居酒屋が軒を連ねる平の大きな通り。

 生まれ育った地、福島県いわき市にやって来た。

 

 生まれ育った地、といっても、そこは新幹線の止まる大きめの駅があるというだけ。実際に中2まで過ごしたのは、山に囲まれた自然豊かな町。要するに、田舎。

 「お邪魔します」

祖母の家に入るとまず目についたのは、一番手前の和室の開いている襖から見える、祖父の仏壇。

 「お供え物いっぱいやろ?」

祖母の声に仏前を見る。確かに。果物などでいっぱいだ。

「毎日何でもお供えすんねん」

「何でも?」

「せや、昨日は野菜炒め、一昨日は餃子を供えたってん」

「餃子!?笑」

驚く私を尻目に、 

「そんなん、おじいちゃん毎回単品やなぁって文句言ってはるで笑」

祖母の家、つまり実家に戻るとすぐに関西弁の口調に戻る母がすかさず突っ込む。 

「ほんなら、明日からはご飯粒とお味噌汁もお供えせなあかんわ笑」

空気に飲まれて関西弁の口調になった私の言葉に、みんなで笑う。 

 「みんなで前で笑うてもろうて、みょうちゃん、あんた幸せもんやなぁ」

祖母の声に 

「みょうちゃん...?」

母が首をかしげる。確かに。聞きなれない名前だ。 するとそんな私達に、

「せや。おじいちゃんのことやで。戒名が明智(みょうち)なんちゃらかんちゃらやからな、みょうちゃんって呼んでんねん。ニックネームや。かわええやろ?」

祖母がしれっと答える。

「フルネーム覚えとらんのかい!そんなんあんた、バチ当たるで笑」

「おじいちゃんやれやれ思うとるわ笑」

母と二人で笑いながら突っ込む。祖母の天然ぶりは半端ない。

 

 その日は、夜の1時まで、たくさん祖母の話を聞いた。祖父の自慢話、惚気、馴れ初め、昔の話...。口を開けば、祖父の話。全然違う話をしていても、結局全て、祖父と結び付く。それはきっと意識的なものではなくて、なんかこう、必然的にっていう感じで。みょうちゃん、という新たなあだ名の元となった戒名ができるまでの話も聞いた。不思議な気分だった。

 そんな話をいっぱいした後、新幹線に3時間半揺られて福島まで来て、夜の1時まで起きていた私は、よほど疲れていたのか、布団に入ると何か考え事等をする余裕もなく、すっと眠りにつく。

 

 ふと我に返ると、姉、弟もいて、何故か家族みんな揃っている。そしてそこには、背筋がシャキッと伸びて元気そうな、祖父の姿も。 

 「あれ、どうして、おじいちゃん生きているの?」

声に出した感覚はないが、確かに、私は祖父に聞いている。祖父はここにいるはずがない。いたとしても、闘病していたのに、こんな元気な姿の訳がない。

 すると祖父は、優しい声で私に言い聞かせるように言う。 

「じいちゃんはな、もう生きてないで。でもな、あんたが思うてくれはる限り、じいちゃんは何年でもあんたの心の中で生きていけんねん」

そして優しく頭を撫でてくれる。それが何だか、妙に切なくて。

 私は祖父の手を触る。温度、質感、その他...感覚が何もない。 

 祖父がまだ何か言いたげな目で見つめてくる。いや、口は動かしていないけれど絶対に何かを言っている気がする。根拠は何もないけど、強くそう感じる。

 待って、何言ってるの?ごめん聞こえない。ねえ、何? 

 私は焦る。鼓動が早くなるような、そんな感覚を覚える。 

 私を見つめる祖父がしだいにぼやけて見える。祖父は寂しそうな目をしながらも、口元だけでもと、笑って見せる。

 待って、おじいちゃん、ねぇ...!!

 

 気がつくと、私は横になっている。暖かくて柔らかい、布団の感触。

 夢...か...。

 きっと昨夜祖父の話をたくさんしたから、夢の中に祖父が出てきてくれたのだろう。

 ごめんね、いちいち来てもらって。おじいちゃん忙しいな笑

何だか少し、笑えてくる。

 それにしても、夢にしては何だか妙に鮮明だった。夢だと普通あまりはっきりと分からないような、言葉が、はっきりと分かった。そして感覚が本当に、妙にリアル。まるで実際に会話していたかのよう。

 心の中で、祖父の言葉が再生される。

「あんたが思うてくれはる限り、じいちゃんは何年でもあんたの心の中で生きていけんねん」

 ちゃっかりかっこいいこと言い残していったなぁ。その言葉の深さが、心に響く、

 大丈夫、私は絶対に思い続けるから...。

 

 すると少しして、居間から祖母の声が響いてくる。

「夜雨~、あんたそろそろ起きたかぁ~?起きたらな、まずみょうちゃんに挨拶したって。ばあちゃんはもうしたで」

祖母の声に、思わず口元が緩む。

 おじいちゃん...いや、みょうちゃん。みょうちゃんは幸せもんやなぁ。おばあちゃんの中でも、死ぬまで長生きし放題やなぁ。

 すると再び、祖母の声。

「それで今朝これからな、おこわとあさりのお味噌汁と漬け物お供えすんねんよ~」

思わずクスッと笑い声が漏れる。

 みょうちゃん、良かったなぁ。今日は単品じゃないらしいで。

 「はーい!」

と返事をしながら、祖父の元へと向かう。写真の中のその笑顔は今にも、

「いつまで続きはるかな?きっと夜にはもう単品に戻っとるで」

そう笑っているかのようだった。

少女の日の思い出

 「大きなことを成し遂げるために

強さを与えて欲しいと 神に求めたのに

謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった

 

偉大な事ができるようにと

健康を求めたのに

より良き事をするようにと 病気を賜った

 

幸せになろうとして 富を求めたのに

賢明であるようにと 貧困を授かった

 

世の人々の称賛を得ようとして

力と成功を求めたのに

慢心にならないようにと 失敗を授かった

 

人生を楽しむために

あらゆるものを求めたのに

あらゆるものを慈しむために

人生を授かった。

 

求めたものは

一つとして与えられなかったが

願いは全て聞き届けられた

 

私は もっとも豊かに 祝福されたのだ」

 

 アメリカの南北戦争の時代、南軍の一兵士が書いたと言われる、作者不明の一篇のその詩は、

「人が生きていく上で本当に必要なものは何かを教えてくれているように思います。じっくりと読み味わってくれたら嬉しいです」

という、温かく、優しく心に響く言葉とともに、別れの手紙に添えられていた。

 その詩を紹介してくれた方は、当時お世話になっていた校長先生。引っ越しの為、その学校を去るという別れの夏の日に、先生が直接手渡してくれたものだった。

 先生は今、お元気にしているだろうか?詩を片手に、ふと、大好きだった先生の事が頭に浮かんだ。

 

 私の中学入学と同時にその中学にやって来た先生だったが、入学式の新入生代表挨拶を任され、務めた私は入学前から先生と面識があった。

 小さい頃から本が好きで普段から読書に没頭し、国語で習った文学作品にもいちいち興味を示す程だった私。

 ある日。運動部の副顧問をしていた担任の先生が出張で不在の期間、毎日の宿題である提出ノートで授業で習った文学作品、「少年の日の思い出」の問題を解いた時。返ってきた提出ノートに、コメントが書いてあるのに、私は気づいた。

 「少年の日の思い出ですか。懐かしいですね。私はこの作品の作者、ヘルマン・ヘッセ車輪の下という小説も好きです。読書好きのあなたに、是非ともおすすめしたいです」

それは、担任の先生の代わりという事で提出ノートをチェックしてくれた、校長先生が書いてくれたものだった。

 私は次の日の提出ノートの隅に

「少年の日の思い出、私は好きです。なので是非読んでみたいと思います。ありがとうございます」

と、返事を書いて出した。

 するとその日の放課後、教室で一人残って作業をしていた私に、帰り際、通りかかった校長先生が話しかけてきてくれた。

「夜雨さん。お返事ありがとうございます。嬉しかったです。」

「いえいえ。先生、私こそ本を紹介して下さりありがとうございます!でも・・・・・・何で私が読書が好きって分かったんですか?」

 すると先生は、こう返してきた。

「だって夜雨さん、よく昼休みに図書室で本を見ているじゃないですか。真剣で、それでいてとても楽しそうな目で」

「え?すいません、先生の事気づいていなかったです・・・・・・笑」

「だと思いましたよ笑 それだけ集中しているってことですね。だから今度是非、先生にもあなたのおすすめの本、紹介して下さいね」

 中学生になったばかりで、緊張していた頃、気さくに話しかけてきてくれた先生の優しさや人柄がとても嬉しかったのを、今でもよく覚えている。

 そしてそこから、私は先生とよくお話しするようになった。

 

 図書室で本を選んでいる私に話しかけてきてくれた先生と、おすすめの本を紹介し合ったこと。部活の部誌の印刷で遅い時間に職員室に行った時、先生達みんなでお団子を食べている先生と目が合って、

「あ~、見たなぁ~笑」

って、少年のようにキラキラした瞳で笑いながら、お団子は人数分しかないからと、代わりにおせんべいをもらったこと。読書感想文が佳作をもらって、特別すごいというわけでもないのに、褒めてもらったこと。

 思い返せば、先生に関しての思い出は割といくつか挙がるものだ。50歳とはとても思えないくらい、若々しくかっこよくて、上品で、優しく気さくだった先生。そして何より、大人と本や文学について語り合えたことが初めてだった私は、それが本当に嬉しくて楽しかった。

 

 しかし、時間は容赦なく私に夏を運んできて、避けられない別れの季節がやって来た。

 皆とのお別れ会の直前に職員室に呼び出された私は、先生から直接この手紙と詩を手渡され、胸がギュッと締め付けられたのを感じ、涙が溢れた。

「泣かないで下さいよ~笑」

先生の優しい笑顔が、子供ながらに刺さったものだった。

 

 そして、今。

 「悩める人々への銘」。そんなタイトルが、どうして今になって突然、私の前に現れたのであろうか?

 「悩んだとき、立ち止まった時に読んでみて下さい」

これを渡すとき、先生がそう言っていたのを思い出す。タイミングが・・・・・・先生、本当にあなたはすごいですね。偶然だけど、そんな気がしないというか。そういう所も、どこまであなたは素敵なんだか・・・・・・。

 思えば、私がかなり年上の芸能人を好きになりだしたきっかけは、先生、もしかしたらあなたなのだと思う。

 そういう風になったのが、あなたと出逢った後でよかった。そうじゃなかったら・・・・・・笑

 

 本棚から、ふと引っ張り出した、ヘッセの詩集。そこから出てきた、一つの茶封筒。その中に入っていたのは・・・・・・ある夏の、少女の日の思い出。

髪は、過去と紙一重

 何かを変えたい、一歩踏み出したい、一度過去を切り離して再スタートを切りたい・・・・・・そんなとき、今まで無意識に、まず見た目から変えてきたのが私だった。まるで一種の景気づけや、願掛けのように・・・・・・。

 きつすぎず、上品に漂う香水の香り、やけにムーディーさを演出するよく知らない洋楽、それらに不釣り合いな、床に落ちた見た目にも重苦しい大量の髪の毛。 

 行きつけの美容院。窓の外は、雨。

 

 ふと物心ついた時から、髪を切り、その後初めて会った時は、まず携帯で私の写真を撮って待ち受けにする・・・・・・という事が、祖父が決まって楽しみにしていた事だった。

 中2で私が長野に引っ越し、福島に残った祖父と頻繁に会えなくなっても、美容院に行った後、母が撮って送った私の写真を見て、それを待ち受けにするという習慣は、相変わらずだったそうだ。

 携帯さえいじれなくなる、それまでは・・・・・・。

 

 先月他界した祖父は、一年と少し前から肺癌を患っていた。余命三ヶ月と言われていたのに、よく頑張ってくれたなと改めて思う。

 大のおじいちゃんっ子の私は、長期休みの度に祖父に会いに行った。会いに行く度、容体が悪化しているのは目で見てとれた。

 そして一番最後に直接会った三月は、以前と比べ薬等でだいぶ髪が抜け落ち、話している声もどもって聞こえずらく、忘れてしまった記憶も増えたようだった。決して忘れたいと願っていた訳でもないだろうに。

 今思うと、そんな状況で直前まで、母に向かって

「夜雨ちゃん来てくれたんねえ」

と、私の名前を呼び、覚えてくれていたことに涙が出る。

 そんな祖父が亡くなった事は、おじいちゃんっ子だった私に想像以上のダメージを与えた。

 

 話すと長いから若干省略するが、精神的ショックで体調不良が続き、好きなことやそうじゃない勉強など私生活全てが見事に手につかなくなり、心の病気と言われ、学校に行くことさえほぼ不可能になった。一連の出来事で一番苦しいはずの祖母にまで心配され、不安にさせた。

 幼少期、年子の弟の世話や仕事で両親は手一杯、姉は幼稚園という中、面倒を見、育て、文字も教えてくれた祖父の存在はそれ程までに大きすぎた。

 以後の日々は苦しかった。なんせ勉強も手につかないから、テストも諦めろ、受けなくてもいいくらいだと先生に言われ、やる気はあるのにできない。そして保健室に通う日々が始まり、廊下でクラスメイトとすれ違った時の焦りや恐怖も尋常じゃなかった。

 もうすべてが怖くて、嫌になった。

 押し寄せる現実、でも私の時間は、あの日で止まったまま。

 

 変わりたかった。勉強のやる気があっても手につかないのと同様に、変わりたい気持ちがあっても変われないかもしれない。それは怖い。すごく怖い。そしたらもう、どうしようもない。

 でも、変わろうとしない事には、変われるわけがないから。だから・・・・・・。

 

 いつの間にか、ホットペッパービューティーで、行きつけの美容院の予約を入れていた。一種の景気づけのような、願掛けのような・・・・・・こんな時に、昔からの癖が行動に表れた。

 

 「すっきりしたね。ほら見て、この髪の毛」

担当してくれた美容師さんの言葉で、床を見る。

 わあ、すごい。本当にいっぱい切ったんだ・・・・・・。

 床に落ちたそれを見て、ふと、ベッドに落ちていた祖父の髪の毛を思い出す。

 そして自らの意思で、一度過去を切り離そうと思えるうちはまだ、忘れたくなくても記憶や思い出といった過去が抜け落ちてしまうまで、少しでも前を向きたい・・・・・・。

 変わりたい、という気持ちが高まる。

 

 「ありがとうございました」

美容師さんの声に見送られて、外に出る。

 これから私は、少しでも変われるだろうか?一歩踏み出せるだろうか?

 私は、空を見上げる。いつの間にか、降っていた雨が止み、一面晴れ空が広がっている。

 

 そうだ、帰ったら母に写真を撮ってもらって、祖母にそれを送ろう。久しぶりにメールして、話そう。そしたら少し、安心してくれるかな?

 

 今後の事なんてまだわからない。でも少しだけ、踏み出す一歩に繋がる何かを、私は得られた気がした。